ともしび あれはまだ幼い日の記憶 心うちふるえるひそやかな想い--- 「秋祭り来るの久しぶりだね!」 さくらは浴衣を着ているにもかかわらず、ぴょんぴょんと飛び跳ねながら小狼を振り向いた。小狼は笑いながらうなずく。 「このところ月峰神社の祭りはずっと夏だったものな。でも何で今年は秋なんだ?」 小狼の問いに今度はさくらが笑って答える。 「神主さんが占ったら今年は秋の方がいいって結果が出たんだって。」 「神主さんって・・・あ、観月先生の・・・。」 小狼は脳裏にひらめいた美しい女性の姿に思わず目を大きくする。 「あの先生の父上か。」 「そう!」 さくらは小狼の言葉に大きくうなずいた。 「観月先生が手紙で教えてくれたんだけど、神主さんも観月先生ほどじゃないけどちょっと不思議な力があるんだって。」 それはそうだろうと小狼は思った。月峰神社のご神木である桜の木は計り知れないほどの力を宿している。仮にもその木を祭る神社の主ならばそこそこの力を持っているのが当然だろう。 「でね、観月先生がね。」 くすくすとさくらが思い出し笑いをする。 「何だ?」 小狼はげげんそうにさくらを見た。彼女はまだ笑っている。 「神主さん、エリオルくんに雰囲気がちょっと似てるかもって。」 とたんに小狼の顔が硬くなった。 「柊沢に・・・。」 「うん。でも、それだけじゃなくてお兄ちゃんにも似てるとこがある気がするって。」 ますます小狼の表情が険しくなる。小狼が苦手とするふたりに似ている人物。できるなら一生会いたくないかもしれない。 「・・・それでその神主さんが秋にしろって言ったのか。」 こくこくとさくらはうなずいた。小狼は眉を寄せる。 「何かたくらんでるんじゃないだろうな。」 「まさかぁ。そんなことあるわけないよ。」 さくらはころころと笑った。小狼も我ながら考えすぎだなと苦笑する。どうもあのふたり似でしかも歌帆のゆかりのものと聞くと何かあるのではないかと勘ぐってしまう。 「月峰神社のお祭りは毎年神主さんが月占いで占って時期を決めてるってお父さんが言ってたよ。だからたまたま今年は時期が変わっただけだよ。」 さくらの答えに小狼も納得した。きっとその通りなのだろう。気を取り直すと小狼はさくらに言った。 「今年の射的は三回までだぞ。」 「え〜っ!」 いっぱいとってもらおうと思ったのに〜、とさくらは不満げに声を上げる。その子どものような表情がまたかわいらしくて小狼は楽しそうにさくらの様子を観察している。 「七回!」 「だめだ。」 「じゃあ六回!」 「多すぎる。」 う〜ん、とさくらは顔を伏せた。ちらっと視線をあげて小狼を見ると彼は目で笑っている。 「じゃ、じゃあ、五回!!ねっ、いいでしょ?!」 首をかしげて見つめる姿に小狼は「しかたないな。」とさくらの髪をくしゃっと撫でる。 「五回だけ。延長なしだぞ。」 さくらは小狼の言葉に満面の笑みを浮かべた。 「うわぁ〜!」 さくらが歓声をあげる。すでに月峰神社の境内にはさまざまな屋台や露店が軒をそろえ、祭りに来た客たちはあちらへこちらへと店を見て回っていた。 「すごい人だね!」 さくらは軽く驚きを見せながら小狼を振り返った。小狼もうなずく。 「ここ数年で一番の人出なんじゃないか?」 ふたりのように浴衣を着流している人々もいればカジュアルな装いでたこ焼きや焼きそばをほおばっている人々もいる。秋になって日が短くなってきているせいだろう。まだ夕方という時間であるのに木々の間に巡らされた提灯ももう明かりが灯されていた。 「ほら、小狼君、あっちに射的あるよ。」 さくらがぱっと駆け出す。人混みに紛れて見失わないように小狼もその後を追った。もっとも小狼がさくらを見失うことなどあり得なかったのだが・・・。やはり長年の習慣でさくらが走り出すと自分もそのあとを追ってしまうようだった。 「こっちこっち!!」 目的地に着いたさくらは大きく手を振っている。その姿から目を離さずに小狼はゆっくりと歩いてさくらの横に並んだ。 「ね、小狼君、見て見て!今年の射的、バージョンアップしてるよ!!」 その興奮した口調に小狼はさくらの指が差す方向を見た。 「なるほどな・・・。」 去年までは台の上に置かれただけだった景品たちが今年は回転寿司よろしくくるくると回っている。どうやらゲームセンターなどで見かけるターンテーブル状のものの上に載っているらしい。輪投げなどならともかく、射的となるとかなりの腕でないと狙ったものに当てるのは難しそうだ。案の定、さくらは心配そうな横顔を見せている。 「小狼君、大丈夫?あんなに動いていても当てられる?」 「まあそこで見てろ。」 小狼はそう言うと露店の主に「五回分」の代金を支払った。店主は弾を五発小狼に手渡した。 「え?一回一発なの?!」 さくらはびっくりしたように目を丸くする。「景品が豪勢になったんでなぁ。」と店主は背を向けたまま答えた。 「かまわない。これなら景品で両手がふさがらずにすむし・・・。」 小狼はさくらの表情とは対照的に余裕たっぷりの様子で的に向かう。 「どれがほしいんだ?」 弾を込め、体勢を整えると小狼はさくらに聞いた。 「え・・・と。」 さくらは回転している商品たちを見つめた。男の子向けの怪獣やプラモデルなどに混じって女の子に似合いそうなアクセサリーやぬいぐるみも見える。 「おじさん、あのうさぎさん、まだあるの?」 さくらはくるっと振り返ると店主を見た。あごひげの生えた一見強面の店主がさくらの声に的を見る。 「ああ、あれかい?まだどころかたくさんあるぜ。でも嬢ちゃん、当てるのはちょ〜むずいんだぜ。」 がははは、と豪快な笑い声を上げて店主はさくらの顔をのぞき込んだ。さくらはますます心配そうに小狼を見る。 「うさぎだな。」 うなずくと小狼は片目をわずか細め引き金に指をかけた。パーンと乾いた破裂音がする。それとほぼ同時に回転台の上のうさぎがひっくり返った。 「やったぁ!!」 さくらがうれしそうに拍手する。周囲の客からも「ほぉ〜。」という歓声があがった。 「兄ちゃん、なかなかやるねぇ。だけどまぐれはそうそう続かないぜぇ。」 空いた場所に店主は再びうさぎを置いた。小狼はちらっとさくらを見る。 「次もうさぎさん!!」 さくらの声とともにふたつ目のうさぎが跳ね上がった。 「ずっと昔もおまえうさぎをほしがってたよな・・・。」 五つのうさぎが入ったポリ袋を下げて小狼がつぶやいた。「あ・・・。」とさくらが小さくこぼす。 「小狼君、覚えてたんだ。」 「ああ。おまえの兄貴と張り合って輪投げで勝負した。」 「勝負がつかなくてお店の人が小狼君とお兄ちゃんと両方にうさぎさんくれたんだよね。」 並んで歩きながらふたりは思い出話をする。 「お兄ちゃんは私に、小狼君は雪兎さんにうさぎさんあげたんだよね。雪兎さん、まだ持っててくれてるかなぁ?」 「・・・・・・。」 あの時俺は---小狼は一瞬遠い日の記憶に心を馳せた。急に寡黙になった小狼に気づいたさくらは足を止めた。 「どうしたの?」 「いや・・・。なんでもない。」 小狼は首を振る。そして打ってかわって明るい声で、先ほどからずっと聞きたかったことを口にした。 「なんだって全部うさぎにしたんだ?」 さくらはにっこり微笑んで小狼の手から袋を受け取ると近くの縁台に腰掛けた。 「ひとつはお兄ちゃんに・・・。」 縁台にちょこんとひとつうさぎが座った。 「ひとつはお父さんに・・・。」 並んでもうひとつうさぎが座る。 「ひとつは知世ちゃんに・・・。」 またひとつうさぎの影が増える。三つ並んだ光景はなかなかかわいらしい。 「ひとつは雪兎さんに・・・。」 四つの影はうさぎの家族か兄弟か・・・。 「そしてこの最後のひとつは・・・。」 さくらは立ったままの小狼を見上げる。 「これは小狼君と私のだよ。」 五つのうさぎが仲良さそうに並んでいる。小狼はさくらの想いを知った。 「みんなを結ぶうさぎか・・・。」 「うん。」 「あれ?李君とさくらちゃん!」 ふいに知った声が響く。小狼とさくらは同時にそちらを見た。 「山崎くん、千春ちゃん!!」 さくらの呼びかけにふたりは軽く手を挙げる。 「山崎君たちもお祭り来てたんだぁ。」 たたっとさくらはふたりに走り寄った。 「お祭りもう全部見たの?」 山崎と千春はうなずく。 「うん。お店、夜もあけてるから始まってすぐに来たの。だから帰るところなんだけど・・・。」 「そうなんだぁ・・・。」 ちょっぴり残念そうにさくらは言った。さくらのあとから現れた小狼が山崎の手の中にあるものに目を落とした。 「それは・・・?」 「ああ、これ?」 山崎は小さな封筒をひらひらさせる。 「お守りだよ。『商売繁盛』と『家内安全』の・・・。」 「山崎君ったら本当に御利益信仰なんだから・・・。」 ぶつぶつと千春は文句を連ねる。 「だいたい努力しない人間に神様が力貸してくれるわけないじゃないの。」 「え〜?なんだか千春ちゃんの言い方だと僕が努力していないみたいに聞こえるなぁ。」 いつものへらへら笑いを山崎が浮かべる。千春は頭を抱えた。 「もうっ!ほんっと反省心ってものがないんだから。さっ、帰って仕事よ仕事!!ごめんね、李君さくらちゃん、ゆっくり話したいんだけど・・・。またね。」 「ああ、耳引っ張らないでよう・・・。いてててて。李君、ここのお守りは効力あるからぜひ買ってったほうがいいよ。じゃあ。」 山崎と千春はあっけにとられているふたりに手を振るとずるずる音を立てて遠ざかっていった。 「な、なんかすごいね、小狼君。」 「ああ・・・。」 ふたりはひきつった顔を見合わせた。 山崎の勧めに従って小狼とさくらは社務所に向かった。小さいが凝った造りの木造物が境内の奥に見える。 「おみくじも引きたいな。」 さくらが言う。その声が聞こえたのか奥から初老の男性が現れた。 「いらっしゃいませ。おみくじですか?」 はっとふたりは男性の顔を見る。 (小狼君、この人が・・・。) (ああ、どうやらそうらしい。) 目と目で会話する。温厚で上品な物腰は確かにどこかエリオルに似たところがあった。 「今日は巫女さんがお休みなので私が代わりを務めているのです。では、こちらからどうぞ。」 ふたりの様子が普段と違うと言っているように見えたのだろう。神主は説明すると番号の書いてある竹棒の入った長い筒をからからとかき回してさくらの前に置いた。さくらはその中の一本をすっと抜く。 「二十五番・・・。」 結果を表す一枚の紙がさくらに渡された。文字を見たさくらが小躍りする。 「大吉だよ、小狼君!!」 「『他人の勧めに従うべし さすれば思いがけない喜びを得ん』・・・か。」 とするとやはり山崎の勧めどおりここはお守りも買っておくべきかもしれないと小狼は財布を開いた。 「お守りもほしいんですけど・・・。」 「どうぞ。どちらがよろしいでしょう?」 見本が並んだ箱を神主はふたりに向ける。山崎たちが買った『商売繁盛』や『家内安全』以外にも『恋愛成就』や『交通安全』『学業成就』など何種類ものお守りが並んでいた。 「どれにする?小狼君・・・。」 「う〜ん、こんなにいろいろあるとはな・・・。」 ふたりは箱をのぞき込んで悩んだ。取りあえず今は願をかけるようなこともないが、せっかくなのだから何か記念に買っておきたかった。 「こっちは?」 「いや、こっちの方が・・・。」 一分、二分と時が経つ。決めかねてさくらは「はぁ〜っ。」とため息をついた。それがスイッチだったのか、次の瞬間ふたりは腰が抜けるほど驚く事態に遭遇する。 「てめえらいつまで待たせやがる?買うのか買わねぇのか?はっきりしやがれ。」 目をつり上げてすごんだその顔は桃矢そっくり。いや、年を取っている分、こっちの方が迫力がある。 「は、はい!」 「か、買います!」 小狼とさくらは同時に『家内安全』のお守りを指した。 「こ、これ!」 「ください!!」 そして恐る恐る顔を上げたふたりは再度ひっくり返りそうになった。 「『家内安全』ですね〜。お買いあげありがとうございます。」 にっこりと神様のように柔和な笑顔を向けられて小狼とさくらはどっと背中に汗が伝うのを感じた。 「お帰りの前に池の月を忘れずにごらんください。よいものが見られますよ。」 神主に耳打ちされた小狼とさくらは神社の裏手に回った。 「やっぱり観月先生の言ったとおりのお父さんだったね。」 「ああ。あんなに驚いたのは初めてだ。しかもかなりのくわせものだな。」 小狼はまだ額に手を当てて小さく首を振っている。よほどショックが大きかったらしい。 「ね、神主さんの言うとおりにして大丈夫なのかな?」 「他人の勧めに従え・・・なんだろう?きいておいた方がいいんじゃないか?」 というより、きかないとまた何かありそうだった。もうあの桃矢そっくりの顔に怒鳴られたくない。 池の端に立ってさくらは水面をのぞきこんだ。 「うん。きれいに月が映ってる。小狼君、何占う?」 「べつに何でも・・・。おまえの占いたいことでいいぞ。」 首をかしげたさくらは「そうだ!」と手をたたいた。 「なんでもいいんだよね?」 「ああ。」 柏手を打ってさくらが占いたいことを言葉にする。 「私たちの十年後を見せてください。」 「え?!お、おい!!」 小狼の頬にぱっと朱が走る。 「さくら、何もそんなこと・・・。」 「なんでもいいって言ったでしょ。ほら結果が出るよ。」 水面が揺れて影が浮かぶ。大きな影、それより頭一つ小さな影、そのまた半分ほどの影がふたつ。 「あ・・・。」 「あれが・・・私たちなんだね。」 さくらは影が消えるまでいとおしそうに水面を見つめ続けていた。小狼はそのさくらの肩をそっと抱く。水面の月はさざめきに揺らめいて静かにもとの姿に戻っていった。 「あ、ここ、ここ。」 さくらがバッグからカードを取り出す。その中から一枚が待っていたように飛び出してきた。 『灯(グロウ)』--- 「ここで『灯(グロウ)』を見つけたんだよ。」 「ああ、知ってる・・・。」 小狼の言葉にさくらは驚きを隠せなかった。 「え?だって月峰神社で見つけたって話はしたけどここだって話したことなかったよ。」 小狼は目を細めた。 「・・・見てたんだ。あの時・・・。」 あの頃はまだ得体が知れなかった観月先生のそばから離れたくて無意識にさくらたちの去った方に足を向けた。そこで小狼はさくらが『灯』を封印するのを見たのだ。 「でも小狼君、あの時何も言わなかった。どうして?」 当時はライバル同士だった小狼がなぜさくらがカードを封印するのを黙って見ていたのかさくらにはわからなかった。 「おまえが・・・『灯』につつまれたさくらがとても幸せそうだったから。」 うさぎを抱いて佇んでいる姿が、その横顔が『灯』の中で輝いて見えた。どきどきして見とれてしまって 声がかけられなかった。見つめているほどに胸がきゅっと苦しくなるのにその光景をそのままにしておきたかった。そ んな自分でも自分がよくわからない状況の中、わずか一瞬ではあるが、小狼はさくらの抱いているうさぎが自分のとった方だったら・・・という想いが心をよぎったのを感じた。 『灯』の光が小狼の上にも届いた時、淡くひそやかな甘さが胸に広がって小狼自身もいつのまにか幸せな気分に浸っているのに気がついた。 「小狼君、見逃してくれたんだね・・・。」 「そういうわけじゃない。『灯』が自分でさくらを選んだんだ。だから俺は黙って見てた。」 知世と語ったあの夏祭りの日、二度目の光の中でも小狼は自身の心に何かが芽吹いたのを感じた。この『灯』の光は何度も小狼の心を揺さぶった。決して荒々しくではなく、やさしく穏やかに・・・。小狼にとって『灯』は特別な意味を持つカードだったのだ。 「『灯』はいいやつだな・・・。」 存在するだけで周りを幸せにしてしまう。優しい気持ちにさせてしまう。さくらと似ている---小狼は思った。だから『灯』は自らさくらの前に現れたのだろう。 「『灯』さんはとっても人を幸せな気持ちにしてくれるカードさんだから・・・。でもね。」 さくらは小狼の胸に手を当てた。 「その幸せややさしさはみんなもともとここにあるんだよ。小狼君も・・・。」 「さくら・・・。」 さくらはうなずいた。 「『灯』さんは光でそれを照らして気づかせてくれるの。だからみんな幸せになれる。」 さくらは杖の封印を解く。さくらの意図に気づいた小狼は自分もさくらの背中越しに手を伸ばした。 「小狼君。」 「ああ。」 このうえなく和らな微笑みをかわすとふたりはじっと『灯』に目をそそぐ。 「もうすぐ私たちは遠くに行っちゃうけど・・・。」 カードが高く舞う。 「友枝のみんながいつまでも幸せでいられますように・・・。」 『灯』の温かい灯が月峰神社から街一帯をつつんでいく。ふたりは降るともしびを見つめながら人々の幸せを願い続けた。 |
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