Shoot me


「小狼君、小狼君てば。」


心配そうな声と共に軽く左腕を突付かれて、小狼は我に帰る。


「あ、ごめん。何だ?」

申しわけなさそうにさくらの顔を見つめるが、その様子もどこかいつもと違う。

元気がないのだ。

中学から始まった朝のお迎えと一緒の登校。

普段なら朝に弱いさくらのほうが謝ってばかりのはずなのに。


「どうしたの?心配事?私には言えない事なのかな。
 ・・・そうだよね。私じゃ頼りないし・・。」


彼に話し掛けるはずが何時の間にか自己嫌悪に陥るさくらに
彼は仕方ないなとため息をつく。


「そんなんじゃないんだ。ちょっと気が重くて。・・その今度の土曜日。」

「土曜日ってなにかあったっけ?」

「授業参観。
 ・・・実は今回来るっていってるんだ。・・母上が・・。」


そう言いながらも小狼の顔は再び曇っていく。

「小狼君、嫌なの?」

「別に嫌じゃ・・・やっぱり嫌だ。しかも国語の授業だし。」


日本での生活もずいぶん経つ。が、なんとなく国語に関しては抵抗があるらしい。

慣用句や古典は嫌いだと前に聞いた事がある。


(私が英語、なんとなく抵抗あるのと同じなのかな。)


そうは言っても小狼の国語の成績は抜群に良い。
というよりも学内での成績は常にトップクラスだ。
それが日本にいるための条件の一つだからと彼は言うけれど、
日本生まれのさくらよりも香港生まれの小狼のほうが国語の成績がいいというのは
やはり生まれもっての資質が違うのかもしれないとさくらは思う。


「でも、初めてだね。お家から誰か見に来るって。」

「俺が話したわけじゃないんだけど・・。
 今回、その後に進路相談があるだろう。だから学校のほうから実家に連絡がいったらしい。」

「そうなんだ。じゃ、私も久しぶりに会えるね。小狼君のお母さんに。

 そうだ、うちのお父さんも来るから紹介しようっと。」


口に出した事でより現実味を帯びてきた土曜日のイベントに落ち込んでいく小狼とは対照的に
さくらは楽しそうな表情を見せる。

(だから言いたくなかったんだ。)

彼の心の呟きはむなしく風に消えた。





 





土曜日・・・



クラス中がそわそわと浮き立っていた。

小学校入学と同時に体験する授業参観。
あの頃ほどのドキドキ感はないけれど自分達の戦場を親が視察に来るというのは
やはり気になる。

いい所を見せて喜ばせてやりたいと思う親孝行な自分。

変な所をみせて後で何を言われるのではという恐れ。

それだけではない。自分達のテリトリーを覗き見られるような複雑な感覚。

様々な思いがこの短い時間には交差する。
あまり楽しいイベントでないの事は確かだ。
親達がどう思っているのかはしらないが・・・。

だが、年に二回ほど行われるこの日本独特の風習に生徒たちのほうも慣れがある。

まぁ、なんとかうまく切り抜けよう。大半の者がそう思っていた。



     ・・・ただ一人を除いては・・・。



「小狼君、大丈夫だよ。いつもの小狼君ならお母さんだって大満足すると思うよ。」

「そうですわ。自信を持ってくださいませ。」


さくらと知世が思わず、そんなエールを贈ってしまうほどに今日の彼は落ち着きが無い。

額にはうっすらと汗をかき、国語の教科書を真剣に読み直している。

緊張しているのだ。


そういえば・・・思い出すのは4年前、香港の彼の実家に行った時の事。

(あの時も小狼君、焦ってたような・・)


「無敵の李君も敵わない相手がさくらちゃん以外にもいらっしゃいましたわね。」

知世も同じ事を考えていたらしく、冗談交じりに小狼に話し掛けるが、
全く耳に入っていない様子。

だがそうしている間にも少しづつ、父兄は集まってくる。



「さくらさん。」


「あっ、お父さんだ。間に合って良かったね。」

「講義の後の質問があまり多くなかったので。今回はどうやら最初から見られるようですね。」

「あら、木之本先生。」

話し掛けて来たのは知世の母の園美だ。

「やぁ、園美くん。今日は仕事のほうは大丈夫なんですか。」

「えぇ。
 大事な中学三年の参観ですもの。今回ばかりははずせないでしょ。
 それにちょっと知世から頼まれている事もあるし・・。

 あら、さくらちゃん、相変らず、可愛いわねぇ〜。」

藤隆の存在を忘れ、目を輝かせてさくらを覗き込む園美のもとに、
いつの間にやってきたのか知世が微笑んで話し掛ける。


「お母様、それでは例の件、よろしくお願いします。

 どうしても私には実行不可能なことですので・・。」

「任しておいて。授業中のさくらちゃんを一挙一動、撮り逃したりするもんですか。」

「あはは・・・」


きらきらと輝く瞳で会話する母子に、さくらはただ乾いた笑いをするしかなかった。



 



参観直前の休み時間、そこかしこで親子の会話がなされる中、
ざわざわとした雰囲気が一瞬、水を打ったように静かになった。

教科書を見つめている小狼の背がビクッと震えた。

・・・・・来た・・・・



そこにいる生徒と父兄の目が入り口に注がれた。

怖いほどの威圧感をたたえて、その人は静かに歩いてくる。
夜蘭の登場だ。

豊かな髪を今日はアップにまとめ、珍しく洋装を身に纏っている。

仕立てのいい真っ白なスーツが彼女の高貴さを一層、鮮烈に表していて・・・。

蒸し暑い教室に凛とした涼しい風が吹く。


「ほぉ〜。」


誰かのため息がもれた。

それを合図にあちこちでざわめきが復活する。

が、話し始めた人々の口は次の瞬間、再びぽかんと開け放たれたままになった。
驚いた事に入ってきたのは夜蘭だけではなく・・・その後を絶世の美女が四人。


「あれ、誰なの?美人が五人も・・。誰かのお母さんじゃないわよね。」


「この学校、皇族いたっけ。」


「李君のお母さんとお姉さんらしいわよ。」


「えっ、嘘でしょ。どれがお母さん?」


とても授業参観前とは思えない盛り上がりである。

さくらは小狼の方を見た。だが、彼は背中を向けたまま振り向こうとはしない。

仕方なく彼女は美しき東洋の美女たちのもとへ歩き出す。


「あの、お久しぶりです。」


夜蘭は数年前と全く変わらぬ美しい表情で彼女を見る。
口元にある微笑がほんの少し、近付いた距離を感じさせる。


「また、力が強くなりましたね。」

「ほぇ?・・・あの、小狼君はあそこに・・。」

「わかっています。話は終ってからでいいでしょう。」

「さくらさん、こちらは?」


周りの動揺に全く気づかない藤隆がにこにこした表情で中に入ってくる。


「あ、夜蘭さん、こちらは私の父です。
 そしてこちらは小狼君のお母さん。香港でとってもお世話になったの。」

「木之本藤隆です。その節はさくらさんが大変お世話になりました。」


圧倒的な威圧感を物ともせず、穏かに話し掛ける藤隆に夜蘭も穏かな微笑で応える。


「李夜蘭です。さすがさくらさんのお父様ですね。特別な気を感じます。」

「さくらちゃ〜ん。こっちにも来て〜。」

声に振り向くとおいしいご馳走を目の前にして、指をくわえたまま状態の四姉妹達の姿が。
さくらに近付きたくて仕方ない様子だ。

だが、無常にも始業のチャイムが鳴り響き、彼女達のお楽しみは持ち越された。





  





独特の雰囲気の中、授業はつつがなく進んでいった。



「さて、それでは次の徒然草の一節を誰かに朗読してもらいましょう。・・え〜と、李君。」

「・・・はい。」

名前を呼ばれた瞬間、小狼の顔が一瞬、引きつる。

目を合わせないようにしていたのが裏目にでたのだろうか。
だが、やらねばならない。
ここでしっかりしないと日本の高校への進学を認めてもらえなくなるかもしれない。

一拍おいて低く返事をすると小狼は立ち上がった。

教科書を手に取り、何度も練習したその文を読もうとする。


その時、


「小狼。頑張って〜。」


姉達の声援が・・・。

クラス中が場違いな行動に爆笑した。


(何で、こんな時に・・。笑われたじゃないか。)


小狼の心は緊張に加えて、ハプニングに動揺する。ドキドキと心臓が高鳴る。

読み出そうとするものの声が出ない。


「・・・」


「どうしたの、李君。49ページの二行目よ。」


なかなか始めない彼に親切心で教師は声をかけたのだが・・・
今や、小狼の緊張は最高潮に達していた。

エリオルの言葉がふいに蘇る。

『落ち着いて自分を見失わなければ、あなたはもっと強くなれますよ。』
(多分、今俺は自分を見失ってるんだ。でも・・・)


と、小さなささやき声が彼の耳に飛び込んできた。



(絶対大丈夫だよ。)



視線を前の席に走らせると、背中しか見えないはずの彼女の柔らかい笑顔が・・。

くるりとすぐに前を向いてしまったので、それはほんの一瞬の出来事だったのだが
彼の心はすうーっと波がひくように落ち着いて・・・。



(大丈夫だ。落ち着いていつもどおりにやろう。)



彼は読み始めた。

「つれづれなるままに・・・。」



 



彼の朗読は素晴らしいものだった。

ゆったりとよく通る声が教室中に穏やかに響き渡る。

読み終えた小狼がほーっとため息を吐きながら席についた。


「李君、よくできました。父兄の皆さん、李君は香港から日本に留学しています。
でもそれを感じさせない素晴らしい朗読でしたね。」

クラス中から温かい拍手と感嘆の声がが沸き起こる。

だが、ほのぼのとした空気を破るように、流暢な日本語が父兄の中からあがった。


「先生、お言葉ですが手加減はいけません。今の朗読、句読点が一箇所抜けておりました。」


言葉の主は言わずとしれた夜蘭である。
全く表情を変えない淡々とした口調に教師はただ頷くばかり。

そして小狼は再び、ビクッと背中を震わせた。





  





父兄たちが場所を変えて懇談会をしている間、クラス内では生徒達が
今日の授業参観の話題で盛り上がっていた。

さくらと小狼も再会の喜びに興奮する姉達を、あとから必ず行くからという理由で
なんとか納得させ、先に彼のマンションに帰す事に漸く成功すると、二人揃って教室に戻る。

だが、そこには好奇心一杯のクラスメイト達が小狼を待ち構えていた。


「李君のお母さんって何歳なの?」

「何の仕事してるの?」

「李君、お姉さん達独身?」

「李君の家ってどんな家なの?」



後から後から矢継ぎ早に繰り出される質問をむげに断る事もできず、
ぼそりと言葉少なに彼は答える。
そんな様子を少し離れて見ているさくらの側に知世と千春がやって来た。


「李君も大変ですわね。」

「ほんとうだね。ようやく参観が終ったって言うのにね。」

さくらの言葉に知世はニッコリ微笑む。

「今の状況ももちろんですが、あのご家庭では。」

それを聞いて、千春がまったくだと言うように深く頷きつつ、呟く。

「さくらちゃんもね。」


「ほぇ?なんで私?」

ふんわりなさくらの反応に二人は黙って苦笑するばかり。


「そろそろ、李君、助けてあげた方がいいんじゃないの?」


不思議そうな表情のさくらを千春が促す。


「そうだね。行って来る。」



 



さくらの後姿を見送りながら、友達思いの友人達はひっそりと囁きあう。

「さくらちゃん勤まるのかな。李家の嫁。」

「大丈夫ですわ。さくらちゃんは打たれ強いですから。」



助けにいったものの同じように取り囲まれて困り果てるさくらを見ながら
二人はにっこりと微笑み合った。







                                       END








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