まちあわせ






ゼミの関係からせっかくの休日を、学会の受付という地味なアルバイトに費やす事になった女子大生は、先程から退屈をもてあましていた。隣の友人に話し掛ける。
「来るのは、オヤジとじじいばっかり。いやになるね〜」
だから何気なく顔を向けた会場入り口の横に、この場には似合わない少年を見つけた時、驚きはしたが少し心が躍った。

濃紺のシャツに黒いスーツ・黒いネクタイ。年は14、5といったところだろうか?
身長はまださほど高くないが、頭の小さい均整の取れた体格のせいで、年齢に関わらずスーツ姿に違和感はない。
その少年が入り口の扉の横で、眼を閉じ、腕を組んだまま壁にもたれている。
そこは会場の中から漏れてくる、初老の教授の話がよく聞こえる場所だ。

「ねぇ、まだ席開いているわよ。」
どうして中に入らないのかしら?と半分は興味から、女子大生は少年に声をかける。

その声に、ふと顔を上げる少年。
(いけない。つい話に夢中になっていた。)
もう最初のお客が到着している頃だ。

「あの・・・」
さらに声をかけようとする女子大生に向かって、その少年はしいっと口に指を立てる仕草をして、わかってるよという様にニコッと笑いかけた。
自分より幾つも年下のはずの少年の笑顔に、女子大生は思わず赤くなり、照れ隠しのためか隣の友人の肩をたたく。

「ちょっと見てよ、あのコ!」「え?なに?」
2人が再び会場入り口の方を向いたとき、そこにはもう誰も居なかった。



   *  〜  *  〜  *  〜  *



ここは地方学術都市の、とあるホテル。
そこの最も大きな会場で、全国から数々の研究者が集い、ある学会が開かれようとしていた。
そして今日、小狼は「招かれざる客」の相手をするためにここにやって来た。

「・・俺も正式には、招待されていないけど。」
なにせ、小狼のような少年がたくさん居る場所でないことは確かだ。
余計な騒ぎは絶対、禁物だった。



「おっと、1組目のご到着だ。」
講師控え室ドアの前に立つ黒ずくめの屈強そうな男2人組が、音を立てずにまさに部屋に侵入しようとしている所だ。
離れた曲がり角から小狼が観察している事には、全く気付いていない。
(素人じゃないが、魔力もない・・・。)
深く帽子を被りサングラスをしているが、その体格から日本人じゃないことは小狼には一目瞭然だった。

『おい。見るからに妖しげだぞ、お前達のその格好。』
流暢なロシア語で話し掛けた小狼の声に、その2人組は条件反射のようにドアノブにかけた手を内ポケットにのばす。
拳銃なんて自分の手のように操る事が出切る、と日頃豪語していたそのロシア人は、構えた瞬間に首筋の頚動脈を押える冷たい金属を感じた。
『は、早い・・・』

相棒の首に小刀を押し付ける少年。
2人目のロシア人は予定外の邪魔者に動揺していたが、プロらしく冷静な行動をとり銃口をしっかり小狼に向ける。
『銃の方が早い。・・・お前の死ぬ方が、先だ。』

右手の小刀はそのままで、小狼は2人目のロシア人の眼の前に黙って左手のこぶしをゆっくり差し出す。

ぱらぱらぱら・・・・

開かれたこぶしから落ちてきたのは、今小狼に向けられている拳銃に一寸前まで込められていた弾。
もちろん、持ち主にはそんなことはすぐに分かる

戦意喪失して愕然とする2人に、小狼はすばやく当て身をくらわせた。
「悪いけど、おまえ達とは違う時間の流れにいるから、俺。」
その流れに、ゆっくり浸る訳にはいかないが・・・小狼は失笑した。
魔力を使うまでもない。あっさり1組目クリア。

(かつては、巨大帝国だった・・・)
その巨体をずるずると近くの用具室にひきずりながら、小狼が昔初めて赴いた地・ロシアから来た珍客の顔を、まじまじと感慨深げに見る。


次に来るのは、圧倒的な物量で何もかも我が物にしようとするあの組織。
「たぶん合衆国・・・だろうな。」
いわゆる超能力の研究に、陰で巨大な資本を投下している国だ。
こんな小さな島国の地方都市であろうと、必ず情報をつかんでいると確信があった。

(日本だけだ、のん気にしてるのは。)
あんな貴重な物が見つかったというのに、まるでその価値がわかっていない。
良く言えば、それだけ平和ということだ。
できる事ならずっとその空気を満喫していたい、と小狼は時々思う。

剥き出しの殺気が、かすかに会場に近づいてくる。
他国の工作員に気付かれても構わない、というくらいの威圧感をもっている。

来た、2組目。やはりアメリカだった。
さっきのようにはいかないだろう。小狼は神経を研ぎ澄ます。

腕時計をみると、例の物を発表する時刻まであと15分というところだった。
「さすがに、絶妙のタイミングで来るんだな。」
苦笑いした小狼は1つ深呼吸をし、心を落ち着け、床に直に耳を当て集中する。
もし気功士がここに居たなら驚いた事だろう。無機物の気を感じている、小狼を。

――完全に消された足音。床の沈み具合から重装備ではない。
人数は・・全部で4人。そのうち武装者は3人。
残り1人は、対超能力の訓練を受けている。
小狼たちの言うところの「魔力」を携えているが、どんな能力かまでは分からない。

確実に会場までの距離を詰めて来た。
(・・・油断は禁物だ。)
テロの恐怖に常にさらされている国。
それは同時に、自ら高等なテロの技術を持つことを意味する。

「でも、やり方はワンパターンだからな、あいつら」

小狼は完璧に気配を消し、距離を一定に保ちながら、すっかりその構造を頭に叩き込んだこのホテルの内部・外部を自由自在に移動する。
そして、ホテルのある部屋の窓から仰向けに上半身を外に出し、少し肌寒い秋風に身を晒し天を仰ぐ。

そこには、屋上から垂らしたワイヤーにぶらさがり、講師控え室に続く廊下に面した窓を、これから特殊な工具を使い無衝撃で割ろうとしている、3人の間抜けな武装者がいた。

「やっぱりな」
小狼はくすっと笑い、上を向いたまま右手の人差し指と中指を目の前に立てる。
そして、その2本の指が短い一言と共にぽうっと光り、小狼の髪が微かに揺れる。

無風のはずの秋空のもと、暴力的とも言える突然の疾風に、3人の招かれざる客はホテルの外壁に強くたたきつけられた。地上25階の高さに、腰には命綱がむすびつけられたままで、気を失い逆さにプランプランと揺れている。

きっと、すごい兵器をもっていただろうに。
小狼は少し気の毒に思い、ふと化粧室の前で足を止めた。

中から出てきたのは、背の低いずんぐりとした赤毛の青年。
「むむ・・・もう3人ともやられてしまったのか、キミに。」
アメリカの4人目の客は、ハンカチで手を拭きながら小狼に向かって日本語で話し掛けた。

「キミみたいな力、ボクには通用しないよ。もう分かってるよね。」
ふふふ・・と不敵な笑みをうかべ、直立不動の小狼を囲むように移動し始めた。

小狼は腕を組み、自分の周りをぐるぐる歩きだした青年を目で追っている。

「・・・・で、俺の、どんな力だって?」

(なんだぁ?この子。全然動揺しないし、なにも隠そうともしない。)
予想外の小狼の行動に赤毛の青年は最初怪訝そうな顔をしたが、小狼の正面に向かい合った途端、それまでの勝ち誇ったような態度が消えた。

小狼の眼を見た瞬間に、圧倒的な力で押さえつけられる感覚に陥り、立つ事さえ困難になる。その姿を見極めようとすればするほど、まるで肉体と精神を切剥がされるような、絶えがたい苦痛に襲われる。もう、心を投げ出してしまいたい衝動に駆られた時、はっと我に返り、まだ小狼が何もしていない事に気付いた。

先程と変わらず、腕を組んだまま静かに微笑している小狼に向かって言った。
「これ、キミの力、まさか・・・・裁定者の力――?」

まさかねと失笑した青年は、滝のように吹き出た油汗をハンカチで拭い、踵を返して背中を向けた。
「・・・役者が違うようだね。キミが誰だか聞かないよ、ボクはまだ命が惜しいから。」

小狼がリタイアした者の背中に切りつけるような真似はしないと、その青年は分かっていたのだろうか。

(あいつこそ、一番アレを欲しがっていたはずだ。)
大変な訓練を積んだに違いない赤毛の青年。一瞬にしてその力をMAXにできる物。

拍子抜けする程あっさりと、2組目クリア。

・・・と、その時初めて、小狼は自分が他人の張った結界の中にいることに気付いた。

青年の背中を見送った、ほんの数秒。小狼は確かに油断していたかもしれない。
時計を見る。あと5分。
振り向くと、一見学者風の男が眼鏡越しに小狼に冷たい笑顔を向けていた。

「ふ・・ん。噂は本当だったのですね。李家が日本に介入しているという話。」

一番やっかいな客が残ってしまったな、と小狼は思う。
中国はこういう場合、国家レベルでの動きは有り得ない。
失敗に終わった時を考え、あくまで傭人を雇ったという建て前をとるからだ。
それは身軽さと、何でもありという状況をつくりだす原因となっている。

「・・やっぱり、こいつを使わずには済まないか。」
今日初めて法剣を取り出し、その刃身をつつ・・と撫でた。

「無駄な事を・・・あなたの魔力の属性は、李一族の象徴・月の力でしょう?」
この結界はどんな種類でも、月の属性をもつ魔力を全て封じ込めると言いたいのだろう。

「今や、勝負は情報力で決まりますね。たとえ貴方が李家の次期当主だとしても、私は負けませんよ」
信頼性の薄い情報だったが、準備を怠らずに来てよかったと男は思った。

あと3分・・・!
あくまで冷静な小狼が、法剣を一振りしながら時計を確認したその時。

がちゃり。

会場に通じる扉の1つがゆっくりと開き、中から女性らしき小さな人影が出てきた。

「こ、これは、これは先生の・・・・。先程ご挨拶させていただいた○×大学の学部長でございます。」
なぜか、動揺している男。
自分の結界に侵入されたからなのか、その人物が知り合いだったからなのか?

しかし運の悪い事にその扉は男のすぐ横にあったため、その人物は素早く回り込んだ男に、虜のように肩をつかまれる。

―――しまった!―――
小狼は、心からそう思った。表情が今日はじめて硬くなった。

その男にとらわれた人物は、小狼の剣を目にして驚きと不安そうな表情を浮べ、「自分の知り合いの男」と「学会には無縁そうな少年」を交互に見比べている。

「あの少年、見た目に騙されてはいけませんよ。彼は貴方のお父様が持っている、アレを盗みに来た不良少年です!!」
男は、小狼をじっとみている自分の虜に、言葉巧みに話し掛ける。

「・・・ですから、アレをすぐに私に!!安全な場所に保管しておきますから!!」
この場面、部外者の前では絶対騒げない。
小狼が魔法も武術をも使えない状況が、偶然つくり出されてしまった。
事態が自分にとって好転してきたと思ったのか、男はさらに上調子になる。


「さあ、私があの少年を捕らえましょう!!」
小狼を得意げに指差した男の背後で、何かがキラリと光った。




「・・・『封印解除』・・・」




足元に閃光と共に広がる、どこかで見た魔方陣に男が気付いた時には、もう遅い。
その時すでに、自分の虜と思っていた少女は、恐ろしい程の星の魔力を秘めた杖を手にしていた。


「『雷』!!!」

ぱりぱり・・・ずどん!!
頭上から、激しい落雷が男を直撃する。

あまりの出来事によろめく男の手をバッと払いのけ、たたっと小狼の方に駆け寄り、キッと男を睨む少女。

「お、お嬢さん・・・どうして・・・・」
さっきまで自信たっぷりだった男は、この可愛い顔をした少女の裏切りが信じられない。

黒いスーツの袖に包まれた小狼の左腕にすっぽり抱きかかえられ、その肩にすがるように両手でしがみついた可憐な少女は、男に向かってべえっと舌をだした。

「――汚い手で触るな。」

小狼は右手の法剣を男につきつけ、左腕の中のいる小さい体をぐいっと引き寄せて、その少女の柔らかい髪にキスをした。

「悪いな・・・さくらは、俺の彼女なんだ。」

さくらは、あん・もう、と言って恥ずかしそうに身をよじる。

情報力を自慢にしていた男が、情報不足が原因で敗れるという皮肉。
「星の力を使う彼女・・・・そんなの、出来すぎ・・だ・・・」


バタリ。


誰が不良少年だ・・!!小狼は男の靴をこつんと蹴る。

「さくら、今のうちに『消』使ってくれないか?」
「うん。」
さくらは心配そうに、小狼を見る。

「消すの・・・『記憶』だよね?この人じゃないよね?」
見慣れぬ黒いスーツ姿の小狼、今日ここにいないはずの小狼、いつもより気のせいかキザな小狼。
なんだか小狼が別の人のように思えて、不安になったさくらは思わず聞いてしまう。

「当り前だろ。」
微笑んだ小狼の笑顔が、あまりにも優しくて、あまりにも純粋で、さくらはほっとした。

「『消』。」
さくらが小さく呟いたところで、時計の針が午後3時をさした。

「あっっ!!お父さんの発表はじまっちゃう!!」
あたふたする、さくら。

「お、おまえ、アレ持ってるよな、ちゃんと!」
小狼は扉を開けようとするさくらの手を掴んで、慌てて確認した。
「・・アレって?お父さんが発掘したコレの事?」
さくらは、上着のポケットから小さな粘土のような塊をとりだした。

「もしかして○×大学の先生、これが欲しかったの?私あげた方がよかったの?」

はあああ〜。さくらの人の良さにも程がある。小狼はため息をついた。

「・・・お前、それがオーパーツって気付いてるよな?」
「おーぱーつ?なにそれ?なんだか変な名前。」
くすっと笑ったさくらに、さらにため息をつく小狼。

「『場違いな工芸品』!!おまえ、親が考古学者なのに、そんな事も知らないのか?!!」
ほんっとうに日本は平和だ!!!なんで俺だけこんな苦労を・・・!

(『そんな事も知らないのか』って、昔、小狼くんによく言われてた・・・)
懐かしさに、ふと笑みがこぼれた。

さくらは、小狼の肩をなぐさめるようにポンポンと叩く。
「ま、とにかく一緒にお父さんの話聞こうよ。・・後でいっぱい聞きたい事あるし。」

小狼は、ぎくりとする。
先程「しまった」と思ったのは、さくらが虜になったことではなくて、さくらに出会った事だった。
まあ、中国からの「招かれざる客」しか見ていないさくらは、あまり深くは突っ込まないだろう。
(用事があるからと、学会への同行を断った俺の事を・・・・)




藤隆の発表は、素晴らしいものだった。
(さくらが直前に藤隆に届けた)オーパーツについての、新しい見解について。
小狼は先程までのブルーな気分を忘れて、目を輝かせてその話に聞き入る。
さくらは横目でそんな小狼を見て、自分の父がとても誇らしかった。




「ね、どうしてあの人、お父さんのオーパーツ欲しがったの?」
藤隆の講話が終わった後の盛大な拍手が鳴り止んだ頃、待ちきれない様子で小狼に尋ねた。

「これ持っていて、お前何も感じないか?魔力が増幅するような・・・」
どうしてそんなこと聞くのか信じられないといった様子で、小狼は言う。
「ん〜わたしは特に・・・あ!ケロちゃんが、お父さんがそれを持って帰った途端、ぬいぐるみになれなくなっちゃったの!!」

さくらには、反応しないのか?・・・・確かに反応していたら、守護獣が仮の姿に戻れないどころでは済まないだろう。

「お前の力、やっぱり不思議だな・・」

さくらは、小狼を少し赤い顔で見ている。
「さっき・・・・」
「え?」
「さっき小狼くん、私の事『彼女』って言ってくれて、嬉しかった・・・」

(え?そんなこと言った・・・かな。あぁ、言ったな俺。)
小狼はポリポリと頬を掻いた。
「さくらが、あいつより俺のこと信じてくれたから、嬉しくて思わず・・・」
「そんなの!・・・当り前だよ。」
「あ、ありがとう・・・」

テレあっている2人の肩を、ポンと叩く人物がいた。
「お父さん!」
小狼は立ち上がって、深々と礼をする。

「こんにちは。はるばる来てくれて、どうもありがとう。」
藤隆は小狼にニコニコして話し掛けた。


「ね、お父さん。小狼くん今日朝からずっとお父さんの大事なオーパーツ、色んな人達から守ってくれてたんだよ!」
小狼は驚いてさくらの顔を見る。どうして、知っているんだ?

「ええ。入れ替わり立ち替わり大変だった事、知ってますよ。本当にどうもありがとう。」
さらにニコニコして微笑む藤隆。

な、なんて微妙なんだ・・・。判っているのか、判ってないのか、どちらとも判断しかねる会話。
下手に言い訳できないじゃないか。

「べ、別に・・・そんなこと、ありません。」
結局小狼が口に出来たのは、いつものセリフだった。

横を向いてしまった小狼に、藤隆は優しく言った。
「あのオーパーツ、もう役目は終わりましたから、もうキミに預けていいのですが・・・」
あんな貴重なオーパーツを?小狼は意外な申し出に驚く。確かにそれが最終目的だが。
「・・・でも君が一生懸命守りたかったものは、オーパーツではないのでしょう?」

藤隆は、オーパーツを観察しているさくらを、目を細めて見た。

「・・・はい。」小狼も追うように、さくらを見る。

そして藤隆は笑顔でこう言った。

「さくらさんなら、どんなことも受けとめることができると、私は信じています」

「――は、はい・・・」


くそ・・なんだ?この親子は。
微妙すぎて、その言葉の意味をどう解釈したらいいのか分からない。


苦悩する小狼の横で、実はなにも考えていない木之本父子はニコニコ笑っていた。







                                            おしまい





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