瞬きで感じてる





「―――眼をとじろ。」

少しかすれた声が、宵闇に染み渡る。
小狼は、さくらのきゃしゃな両肩に自分の手を重ね、諭すように言った。

向けられたまっすぐな瞳に、さくらは一瞬ドキッとする。
「ど、どうして?」

爽やかな春の夜風が、二人の髪を撫でた。
月の光に照らされた小狼の顔が青白い、とさくらは思った。

「頼むから・・・言うとおりにしてくれ。」
その思いつめたような声の1つ1つがさくらの胸にひびいて、心臓の鼓動がますます激しくなる。

さくらは長いまつげを伏せ、そっと瞼を閉じた。肩に置かれた手が、優しくて暖かい。

小狼の端正な顔が、いまは触れそうなほど近くにある。見えないけれど感じる。

・・・とくん。小さく胸が鳴った。息が、できない。

そして―――小狼はさくらの肩を抱いたまま、少しためらった後ゆっくりとその白く細い首すじに自分の唇で触れ・・キスをした。

(しゃおらん・・くん・・?今・・・なにを・・)

その瞬間、体中に電気が走り、頭の中が真っ白になったさくらは、気を失い足元から崩れ落ちる。

小狼は、その体をしっかりと抱きとめた。




   




それは、今日の事。
日直の仕事を終え、午後の日がかたむきかけた頃に、さくらは一人で学校の門を出た。
その日は、商店街で小狼と待ち合わせをし、新生活に必要な日用品を一緒に選ぶ予定だった。
引越しの荷ほどきも手伝えなかったさくらは、買い物をなかば強引についていく形にはなったが、
朝からずっと楽しみにしていたのだ。
だから、あの男に声をかけられたとき、確かに無防備だったかもしれない。

「すみませーん。ちょおっといいですかぁ?」

その声のほうに、さくらは顔を向けた。
袖をまくったブルーのワイシャツにネクタイ。少しくたびれたズボン。
肩からずいぶん大きなバッグを下げている。手には手帳とペンを持ち、首からカメラ。
・・・カメラ?

「えと・・あの。わたしですか?」
さくらは、カメラに身を少し堅くして、その男に言葉に応じた。
すると、心配いらないというように男は身をかがめ、どこかからコピーしてきたかのような完璧な笑顔を浮かべながら、手帳から名刺をとりだした。

「お嬢さん、友枝中の生徒さんだね。私はこういう者です。」

見ると、聞いたことのある出版社の名前が印刷されている。
その男は、山本といった。どうやら記者のようだ。さくらにも、それは理解できた。

「あー警戒しないでね。今、学級崩壊とか話題になっているのを知っているかな?
 僕は、その取材をするのが仕事なんだけどね。
 友枝中って、とても公立中とは思えないほど、規律の正しい学校だと関係者からの情報があってね。」

そういえば、わるい噂や事件などほとんど無い。少なくとも、さくらは知らない。

「だから、なにか他の学校と違うのかな、と思って、そこの生徒さんから直接お話しを聞きたいと思ったん だよ。少しで良いから、協力してくれないかな。」

そこまで、一方的にしゃべられて、さくらは困惑した。
このおじさんのお役に立てるのなら、喜んでしてあげたいとも思ったが、待ち合わせの時間が迫っていた。
携帯電話を持ち合わせていないさくらに、小狼に連絡する手立ては今はない。
「本当に少しでいいのなら・・・でも、私なんかが、協力できるんですか?」

その言葉を聞き、山本は、また完璧な笑顔を浮かべた。




約束の時刻ぎりぎりに、小狼は、花のようなさくらの姿を目にすることができた。
「そんなに走らなくていいんだ。」
「(はあっはあっ)そだよね、つい。」
だって小狼くんと買い物だもん、と心の中で思い、エヘヘと笑った。

「ね、どこから行くっ!?」
聞くと同時に、さくらは小狼のそでをひっぱり商店街の中心に向かって走るように歩き出す。
「お、おい!」
まだ何も決めていないだろう、と言う間もない。
これを行動力と言うのか、つっぱしっていると言うのか?小狼は苦笑いする。
さくらに対しては、今や小狼は、本当に形無しだ。
あれが冷静沈着で世に名だたる「李家次期当主」だよと聞いたら、関係者は驚くことだろう。

「あっ」
2件目に入った雑貨屋で、さくらが急にあるものを目掛けて走っていく。
小狼は、新しいシステム手帳を物色中だ。
――それは、2つのサイズがある揃いのマグカップで、大きい方は、ミントグリーンにサーモンピンクのラインが2本、小さい方はそれと全く逆の模様、という物だ。
なんてことのない、よくあるマグカップだが、さくらはなぜか眼を奪われた。

(でも、今日のお買い物リストには、食器とかはないんだよね。)
さくらは、うーん、と悩んだ。
さくらが小さい方を自分で買ってもいいのだが、揃いじゃないと、可愛くない。
片方だけだなんて、絶対可愛くない!!

すると、眉間にしわを寄せていたさくらの目の前で、その2つのマグカップは、どこからか出てきた手にひょいっと連れて行かれた。
(あぁ、買われちゃった・・)
さくらが、泣きそうな顔でその手を眼で追うと、その手の主は小狼だった。

「それ以上にらむと、おまえの魔力でこれ壊してしまうぞ。」
そう言って、無造作にそのマグカップをつかみ、レジに向かう。
「2つ、買うの?」さくらは、その後をついてきながら、嬉しそうな顔を隠し切れない。
「・・・セットだからな。」
1つだけでも買えるんだよ、と、さくらは教えてあげようとしたが、小狼の横顔を見てその言葉を飲んだ。私が、欲しそうに見てたから?



「さくらちゃん、成長しましたわ・・・李君のお気持ちに、鋭くお気付きになって・・。」
知世が、ビデオカメラからその様子を覗き、感慨深げにつぶやいた。
「きっと、まぐれですわね。」



本当いうと、必要な物なんてほとんど無かった。
早々と買い物を終え、小狼の部屋へ帰ってきたときには、まだ外は明るかった。
初めて、新しい小狼の部屋に(といっても、前回住んでいたマンションと同じ部屋だが)来たさくらは、ふぅんやっぱり片付いてるんだね、とか言いながらきょろきょろしている。
小狼も、部屋の中にさくらが居るのがまだ慣れない様子で、何もモノがないだけだ、とか言ってお茶を入れている。
普通で、当り前で、でも2人には特別な時間が過ぎていった。

さくらが、制服のポケットからあの男の名刺を落とすまでは。

「・・これ、なんだ?」
ハンカチを出そうとして、ポケットから一緒に出てきた名刺を、小狼が拾った。
「あ、それね、今日学校の近くで呼び止められたの。取材なんだって、友枝中の。」

その紙切れを手にとった小狼の表情が、徐々に驚きと焦りに満ちてくる。

さくらは、小狼が買ってくれたマグカップを嬉しそうにじっと見ていて、その変化に気付かない。
「何か話したのか!!」
小狼が急に立ち上がって、声を荒げた。
さくらは、和やかな雰囲気から一転した空気に、ビクッとなって小狼を見た。

驚いているさくらの表情を見て、小狼は今自分がどんな顔をしているか理解し、慌てて弁解する。
「いや!あの、最近、変質者が多いから、だから、気をつけろよ・・」

なんだ、とホッとしたさくらは、その取材の様子を小狼に説明した。
「――ってね、授業の様子とか、先生達の事とか聞かれただけ。せっかく、わたしその人のお仕事の手伝いしようと思ったのに、3分しかかからなかったんだよ。」

「・・・3分あれば、十分なんだ」
小狼のつぶやいた言葉は、さくらの耳には届かなかった。



言葉少なに、さくらを家まで送ってきた小狼は、その玄関の前で立ち止まる。
(小狼くん、なにか悩んでる)
手を組み、右手で人差し指と親指であごをつかむポーズ。
小狼が、考え事をしている時、無意識でするしぐさ。
さくらはそんな時、邪魔しないように、小狼には話し掛けない。

「さくら。」
「はい」
何か決めたんだ・・さくらは、思った。

「俺が、明日の朝迎えにくるまで、絶対家をでるな」
「え、えぇ?!」
家を出るなという言葉より、迎えに来るまで、というのにびっくりしたさくらは顔が赤くなる。
どうして?と聞こうとした時、小狼に先を越された。
「どうしてって、聞くなよ。」
小狼の真剣な表情に、さくらはよく事情がわからないけど、小狼くんを今は信じて言うとおりにしようと思い、素直にはいと頷いた。


「おう、さくら。おっかえり〜」
カチャンと自分の部屋のドアを開くと、藤隆の手製のプリンを誰よりも早く味わいご機嫌なケルベロスの明るい声が聞こえる。
けれど、さくらが思い悩んだ表情をしているのを見て、その理由を尋ねてきた。


「よーわからんけど、小僧の、ただの心配しすぎやないかー」
まだどこか軽い調子で、ケルベロスが言った。
変質者?そんなんおるんかなぁ。とぼやいて、もうゲームを始めてしまった。
まったく能天気といわれてもしょうがないよ、とさくらは思いながらも食い下がる。

「でも、この名刺見たとたん、小狼くん、すっごく怖い顔になったんだよ」
「名刺?なんや、さくらスカウトでもされたんか?」
やっとこちらを向いたケルベロスは、さくらからその紙を受け取り、どれどれ何処の事務所やと観察した。

「・・・・こ、これは!」

「ど、どうしたの、ケロちゃん!!」
詰め寄るさくら。ケルベロスは、さくらの方をくるりと向いた。

「わい、漢字読めんかった。」
あう〜そんなぁ、とうなだれるさくらだったが、ケルベロスは、その印刷の内容よりもその名刺から漂う微かな「気配」に心を奪われた。
(・・・・小僧も、多分これに気付いたな。)
さくらは、すっかり力が抜けて、ベッドに身を投げ出している。

(小僧は、さくらにはなんも言わんかったみたいやな。一人で何とかする気やろうか?
 しかし、まさかあの『追跡者』が、さくらを狙うやなんて。
 その前に、今この日本におるやなんて!・・・早いとこ手ぇ打たんとやばいな・・・)

ケルベロスは、うつ伏せ寝しているさくらを見ながら険しい表情を浮かべた。

(わいか月、小僧がつきっきりでさくらの側におるか?いや、そんなことしても、根本的にはなんも解決せえへん。それでは『追跡者』には・・・)

そして増々表情を硬くした。



   




―――やはり、友枝町にいたな―――
山本と名乗る男は、夜の闇の中、静まり返った学校の渡り廊下で、薄笑いを浮かべていた。

数年前、ここ友枝町で起きた奇妙な事件。
それは、異常な雨だったり、集団的な軽い記憶喪失だったり、一つ一つは、記事にもならない出来事だ。
その度に、都合のいい理由をこじつけられた。
だが、友枝町という限定された地域ですべて起きていることに、この男はその時目ざとく気付いたのだ。
そんな所には強い魔力を持った者が、必ず居る。
必ず見つけ、そして必ず・・「――『捕獲』するぞ」

ずっと、機会を待っていた。闇にひそむ、きつねのようにしつこく。
ここ1年くらい友枝は何も事件が無い。波一つ無い凪いだ水面のほうが探しものがし易い。
今こそ好機、とばかりに今日初めてさくらに接触した。

「あんなにおいしそうな魔力の匂いをぷんぷんさせているとはな」クックッ、と笑った。
依頼者が捕獲を望む訳だな、と『追跡者』は気を練り始め準備にかかる。



さくらの家の塀にもたれ、小狼はさくらの部屋を見上げていた。夕方から実はずっとそこに居たのだ。

『追跡者』がさくらを、ターゲットにしている――
その事実が、じわじわと小狼を焦燥感で満たしていく。

1分間あれば、その対象者の魔力の波動・属性・強さなどのデータをコンピューターのように解析し、完全に目標設定する特殊な能力。
そして、いったんターゲット・オンされた目標は、その行動をすべて把握され、逃げも隠れも出来ない。

「ターゲット」は、その魔力を放棄しない限りは、完全に『追跡者』の籠の中の鳥だ。
『追跡者』の能力は、それだけではない。

その者の、魔法・魔術、つまりは『力』を、その解析により全て無効にできるのだ。
そうして、『追跡者』は、「ターゲット」を必ず捕獲する。必ず、だ。
今まで、幾度も『追跡者』の手により道士が闇に葬られてきた。

(報酬目当ての単独行動ならいいのだが・・。)
今や、『追跡者』に解析されたさくらの魔力は、無に等しい。
こうなっては、さくらといえども、ただの少女だ。

小狼の表情は、焦りから怒りへと変化する。

・・・いや、最初からそうなんだ。
さくらは、ちょっとすごい魔法が使える、ただの可愛い女の子じゃないか。
どうして危険な目にあわなければいけないんだ。
――だけど、さくらを守るためには、俺は・・・・。

そんなことを考えていると、さくらの魔力の気配が移動したのに気付いた。
小狼は、急いでその方向である玄関へ回りこむ。

「小狼くん?」
パジャマ姿でさくらが玄関の扉を静かに開き、自分の名を呼んだので、小狼はとても驚いた。
死角にいた俺に気付くはずはない。そんな小狼を見つけ、さくらはたたっと走り寄る。
「やっぱり、小狼くんずっとそばにいた!」
なぜか怖い顔して外に出るなと繰り返すケルベロスがやっと寝たので、さくらは部屋をそっと抜け出してきたのだ。

「どうして・・?」
ずっと、魔力の気配は消していた。完璧に、消していたのに。
さくらは、俺の存在を魔力ではなく別のところで感じているらしい。

「俺に構うな。おとなしく寝てろ。」
さくらの澄んだ瞳にみつめられると、心の中まで見られるような気がして、小狼はわざとぶっきらぼうに言った。
すると、さくらは小狼の服の裾をぎゅっとつかんで、顔を見上げる。

「・・・やだ。いっしょにいる。絶対ここ離さないから。」

小さな子のように、めずらしくわがままを言うさくらを、小狼は全身で愛しいと思った。

俺は、何をしているんだ。迷うことはないじゃないか。
小狼は、今やっと心を決めた。

そして、まだ小狼の服をしっかり握っているさくらの両肩に手を置き、静かに言った。
「―――眼を、閉じろ」





「さくらぁ!!!」
異常を感知し、後を追ってきたケルベロスが血相を変えて叫んだ。
そして、意識の無いさくらと、その体を抱きかかえている小狼を何度も見比べる。

「小僧・・・さくらの魔力を、全部自分に移動させたな。」
「一時的なものだ。しばらくすれば、元に戻る。」
小狼は、さくらを玄関の扉にもたれかけさせた。
「さくらの魔力は、・・・泉のように無限に湧き出てくるからな。」
ケルベロスは黙っている。

「『追跡者』が、さくらを「ターゲット」にした。」
ケルベロスは、わかっとると頷いた。
小狼は、さくらの頬をやさしく撫でる。
「さくらを、頼む。・・おまえが側にいてくれれば大丈夫だろう。」
「おまえ、なんする気や。」
「―――俺は、俺にしか出来ないことをしてくるだけだ。」
まずは『追跡者』の待つ学校へ。小狼は立ち上がった。

「・・・ちょ待て。」
ケルベロスは、ぱああっと金色にひかり、その翼をひろげ急に本来の姿へ戻った。
「小僧、いつからや?そんな事できるようになったんは。」
そして、気配を読むように、体をさらに光らせた。
3人の間に小さな風が生じる。小狼は、顔だけケルベロスのほうに向けている。

「おかしいと思ったんや。自分の気配消すんはともかく、ヒトの魔力までコントロールできるやなんて。
 ・・・・・小僧、まさか・・」
ケルベロスの表情がさらに険しくなる。


「―――契約したな。日本に戻ってくる前に。」


小狼は、ケルベロスとは対照的に、どこか虚ろな表情を浮かべた。
「さくらには、言うな。」

その肯定としかとれない答えにケルベロスは衝撃を受け、間髪入れずに叫ぶ。
「あ、・・当り前や!!!そんなこと、――そんなこと、さくらに言えるか・・・!!」
小狼は、たのむぞと苦笑いし、再び向こうをむいた。

ケルベロスは、その様子をだまって見ていたが、最後に声をかける。
「小僧!き・・・気ぃつけり。」

もう一度ケルベロスのほうに無言で視線を投げ、闇に消えていった。


「木之本桜が、移動し始めた・・!!」
『追跡者』山本は、薄笑いを浮かべた。こちらへ真っ直ぐ向かっている。
力の強い者は、自分と異なる気配に強い関心を示す。夜になりその気配を「ターゲット」だけに開放し、さくらをおびき寄せようとしていた『追跡者』は、計画どおりだ、と心を躍らせた。
―――この『捕獲』が成功すれば、依頼者は大きな財産を得ることになる。そして、私にさらなるボーナスを上積みするだろう。

「・・・・来たな。」
自分の力を確かめるようにその両手を怪しげに光らせ、中庭の真中に進み「ターゲット」を待つ。

しかし『追跡者』は、急にさくらの魔力を見失った。
「どこだ!!」
予想外の事に、あわてる『追跡者』をさらに驚かせたのは、空から聞こえてきた声。
それが、少女でなく、背筋に寒気さえ感じる冷酷な少年の声だったからだ。

「おまえの追跡は失敗した。」

木の上から、小狼は飛び降りた。目前にいる『追跡者』と正面から対峙する。
「・・・・この町いや日本から、即刻消えていなくなれ。即刻だ。」

「なんだと?貴様、何者だ。・・・ほう、木之本桜と同じような魔力をもっているな。」
こんな奴が、まだ他にもこの町にいたなんて嬉しい誤算だ、と『追跡者』は喜ぶ。
「私が何者かもわからずに、気の毒な奴だ。」
小狼の外見だけを見て、フンッと鼻で笑った。
楽勝だな、これで3倍のボーナスを請求してやれる。

頭の中で報酬の計算を始めた『追跡者』に、小狼は言った。
「・・・見たことある顔だな。そうだ、確か3年前、地下に潜った『追跡者』がいた。
 中国から北朝鮮に亡命したと聞いていたが、・・・お前、『元大全』だな。」

『元大全』と言われた男はみるみる顔色を変え、驚きと恐れの眼差しで小狼を見た。

「・・だ、誰なんだ、お前は!本当に!!」


――『追跡者』は、もともと『魔道士』『魔術師』など、魔力を持つ者達の対抗勢力で、お互いがその力のバランスを保つことで、どちらかが悪い方向へ暴走するのをけん制している。
その多くは、気の流れが複雑に乱れる混沌の地、すなわち香港で暗躍している。
しかし、理由はわからないが『追跡者』は、その存在を歴史上秘密とされていた。
だから、自分の正体はおろか、名前までも小狼に見抜かれ、元大全は自分の身の危険を感じた。
つまりそれは『追跡者』として、終わりを意味する。


元大全が、すぐに小狼を解析にかかった。この少年をなんとしても捕獲しなければ、私が危険だ。
今や、報酬どころではないと焦る。
「・・?!出来ない・・なぜだ?!!」
どうも『追跡者』の能力はうまく働いてくれないようだ。
それどころか、印をきる手は震え、油汗さえにじんでいる。
(ま、まさか。恐怖を感じている?この子供に、この私が!?)

小狼は元大全の様子見ていたが、やがてため息をつき、霊玉を一振りで法剣にかえた。
「無駄だ。おまえは俺を解析出来ない。」

元大全の眼は、小狼の右手に携えられた剣に焦点をつくる。
その剣に埋め込まれた玉は・・・!元大全はようやく全てを悟った。だが、もう遅すぎた。

「李家の者か!女系一族に何十年かぶりに男が誕生したと聞いていたが、そうかお前が・・・。
 しかし、ど、どうして日本にいるのだ!?」
この時元大全は、伝説の魔術師クロウ・リードのことを思い出し、またもや遅すぎる推察をした。

「そうか・・たしかクロウ・リードは日本で死んだはず。
 まさか、木之本桜は、クロウカードの今の主だとでもいうのか?」
そう考えると全てのつじつまが合う。
これは、大変に貴重な情報だ。各国の関係組織にとって、よだれが出る話だろう。
元大全は一瞬、ほんの一瞬恐怖を忘れた。

「余計な知識は、身を滅ぼすだけだな。」
小狼はその剣先を、考えが迷走している『追跡者』の鼻先につきつけた。
その表情は、13歳の少年と思えないほどの威圧感を持っている。

「日本は、すでに李一族の『最優先統治地域』に入った。
 お前の依頼者に言えば、それがどういう意味を持つかわかるだろう。」

なんてことだ、依頼者に言うまでも無い・・・元大全は、この時完全に後悔していた。
日本は、霊力や魔力といったいわゆる超能力については、まだまだ開発途上国だ。
だから、目をつけたのに。
その未知の力を求めて発掘にくる組織は、今は少ないがこれから徐々に増えるだろう。

元大全は、地面にへたり込んだ。
日のあたらない地下に潜ってまで、日本に介入したのに、李家が守護していたとは!!
がっくりと、肩を落とし両手をつく。

元大全は、いまやただの居場所を無くした、あわれな男だった。
そして、さくらを逆恨みした。最後に、道連れにして『力』を無にしてやる。
元大全の開き直った表情を、小狼は見逃さなかった。

人差し指と中指を眉間の前に立て、集中する。
剣を地球の中心に向けて、真っ直ぐに地面に突き立てた。
その口からこぼれる呪文、おそらく現在それを唱える者はこの世で小狼の他にはいない。
その呪文に反応した周りの樹々が、妖しくざわめき「気」を放出した。
大地からも、まるで湯気のように「気」が揺らぎ立ち昇る。
小狼が高々と天に掲げた法剣に、その「気」が吸い寄せられるように集まり、法剣をとりまく1つの「気」の玉となった。
その法剣を頭上で大きく旋回させたかと思うと、さくらのもとへ向かおうとする元大全の背中に
向けて、その裁定者の剣を冷酷無慈悲に振り下ろす。

――そして、小狼の手で、『追跡者』としての力を、永遠に失わせた――

白目をむき、地面にズンと倒れた『追跡者』の姿は、小狼にとても後味の悪い思いをさせた。
口の中が、ざらざらする。もちろん殺してはいない。
だが、その組織の首領はこの男をただではおくまい。
明日の朝までには、この姿はここから消え闇に葬られるだろう。
そして、この男を誰がこんな目にあわせたか、多少なりとも感づくに違いない。

小狼は、もう少し自分の存在を誰にも知られずにいたかった。
今回の事が、さくらの危険につながることでなければ、きっと別の方法を考えた。
これで、李小狼が日本にいることが、全くの秘密では無くなったことになる。
(少し早かったが・・・さくらは、これでしばらくは安心だ)

自分のしていることを、いつかさくらに知られる日が来るだろう。
その時、さくらは何と言うのだろう。
どんな顔をするのだろうか――小狼はぷるぷるっと頭を振った
今は考えるまい。考えると、前に進めない。

小狼は、法剣を霊玉におさめ、さすがに疲れた様子で歩き出した。
もう、意識が戻る頃だ。さっきのこと覚えているだろうか?さくらは。

(さあ、どう説明する・・・)

あの時は、魔力の移動に集中してよく考えなかったが、首にとはいえさくらにキスをした。
小狼は、その瞬間を思い出し、体が熱くなるのを抑えきれない。
清らかなものを、必要だったとはいえ自分が汚してしまったという罪悪感。
いや・・・小狼は顔を上げた。
さくらを守るためなら、喜んで忌み者になってやるし泥水も飲んでやる。

(傷ついてもいい、誰にも邪魔はさせない。)
それは、誰にも知り得ない哀しいまでに強い決意だった。


小狼はいつの間にか木之本家の塀の側に立っていた。上にはさくらの部屋がある。
どんなに疲れていても、さくらの無事を確認したかった。

「小狼く〜ん」
驚いたことにすぐにさくらが窓から顔を出し、小さな声で呼んだ。
そして、『翔』を使って、家族を起こさないように静かに小狼の元へ降りてきた。
今度はケルベロスも一緒だ。おいおい、そんな複雑な顔をするな、と小狼は眼で文句を云う。

「さっき、私いつの間にかまた寝ちゃったみたいで・・・ごめんね」
さくらが決まり悪そうに言う。覚えてないのか・・とかなり拍子抜けした。

「―――おまえの寝顔、これから何回見れるんだろうな。」
「どういう意味!?」
さくらは、からかわれたと思い頬をぷうとふくらませる。
「・・・色んな意味さ。」小狼の眼は、はるか遠くを見つめた。

今日会うの3回目だよ、毎日こんなに会えたらいいのにと笑った後、さくらは小狼をじっと見て言った。
その言葉は小狼を驚かせた。
「心配事、なくなったんだね。小狼くん、変質者やっつけてくれたんだね。」
小狼の手を握って、最高に可愛い笑顔を浮かべるさくら。
小狼はくらくらとめまいがした。

「・・これで明日のお迎え、なしだよね。でもいいの。小狼くん今日はゆっくり寝てね、絶対ね」

でも本当にありがとう。それだけ言いたかったのと言って、自分の部屋に舞い上がる白い天使。

小狼は呆気にとられてその翼を見送る。


(そのために、今まで起きて待っていたのか・・・)
小狼は、やっと体に力が戻った気がして、もう一度さくらの部屋の窓を見上げた。

その小さな体のどこで、何を感じているのだろう?

――あいつ、やっぱり不思議な奴だ。
その笑顔を思い出し、それを本当に大切なものだと小狼は思った。
さくらの手の感触が残った左手を確かめるように握り、小狼は月夜の薄闇の中へ身を投じた時に、ようやく長かった1日を終えた。


さくらは、小狼がいなくなったのを確かめてから、自分のベッドにもぐる。

「おやすみ、さくら」
ケルベロスが探るように言ったのに対し、さくらは無邪気におやすみケロちゃんと返事をした。
ケルベロスはその声の気色にほっとする。


毛布にすっぽりとくるまり、さくらはそっと自分の首筋にふれた。

(・・・まだ小狼くんの唇の感触がのこってる。)

さくらは、気を失う前の夢のような瞬間を何度も思い出しては、何度もきゅんとした。
胸の鼓動の音で、今夜は眠れそうにない。

切なく痛む心を抱いてそっとベッドを抜けだし、窓から祈るように月を見上げた。

紫紺の天空、今夜は満月だ。


そして、さくらは本当に祈った。



どうか、小狼くんが幸せでありますように

              その心の秘密の扉を開ける力を、

          その心の暗闇を救う力を、どうか神様私にください
 
      どうか、神様・・・・



月が何か言いたげに、その輝きをいっそう増したような気がした。







                                             【 おしまい 】








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