それはある日曜日の午前中のことだった--- 「ね、お茶のおかわりは?」 「ああ、そうだな。もう一杯。」 さくらはうなずいて小狼のカップに紅茶を注ぐ。新聞を広げていた小狼はそんなさくらの手元を微笑みながら眺めていた。 「おまえ、お茶の入れ方、上達したな。」 「えっ?そう?」 心持ち目を大きくしてさくらはうれしそうに頬を染める。小狼はうなずきながら言葉を続けた。 「前からうまかったけど、最近は香りもとてもよく引き出している。・・・さくらが今日はどの紅茶を入れてくれるのか毎日楽しみにしてるんだ。」 さりげない告白がますますさくらの頬を紅潮させる。 「・・・ありがと、小狼君。」 さくらはそう言って自分もカップを口に運んだ。 チリリンチリリン 「あれ?お客様かな?」 来訪者を知らせる玄関先のベルの音にさくらは腰を浮かす。小狼はさくらを制して立ち上がった。 「いい、俺が出る。朝からずっと家事で立ってたんだ。おまえは少し休んでいろ。」 小狼の思いやりに再び心の中で感謝しながらさくらは幸せそうに紅茶を飲んだ。 「えっ?!母上が?」 「はい。すぐにおいでくださるようにとのことでございます。」 小狼は難しい顔をした。 「本当にそう言ったんだな、さくらと子どもたちもと・・・。」 母屋の執事は重ねて肯定する。 「さようでございます。盛装でいらしてくださいませ。」 執事は深く一礼すると母屋に戻っていった。小狼は腕組みをしてその姿を見送った。 「着飾って来いって・・・。いったい何なんだ?」 小狼から話を聞いたさくらはすぐに子どもたちを着替えさせて自分も上品なベージュのワンピースに着替えた。小狼は三つ揃いのスーツにネクタイできめている。 「何かお祝いでもあるの?」 母屋に向かう道すがら、さくらは小狼に尋ねた。小狼は首を横に振る。 「いや、俺も何も聞いていない。親族の慶事もこの時期はないし・・・何なのか見当もつかない。」 しきりに首をかしげている両親たちをよそに子どもたちははしゃぎ回っている。 「わ〜い、おばあちゃまと占いごっこしよう。」 「そんなのつまらない。やっぱり新しい術教えてもらう方がいいよ。」 口々に勝手なことを言いながら子どもたちは母屋に向かって駆けていく。その様子に二人は苦笑しつつ顔を見合わせると足を早めて子どもたちを追った。 「こちらでございます・・・。」 執事に促され、四人は客間へと案内された。 (やっぱり客が来ているのか?) (でも子どもたちもって・・・。誰なんだろう??) 小狼とさくらは心持ち表情が硬くなった。李家の客、しかも盛装して会わねばならない相手となるとかなりの大物ではないかと推測できる。さくらは子どもたちが失礼なことをしては・・・と気を回す。両手で子どもたちの手を握り、しゃがんで諭す。 「いい?今日はお客様がいらしているの。だからおばあちゃまに会ってもいつもみたいに騒いじゃあダメよ。」 「うん。わかったよ。」 「おとなしくしてる。」 いつもより真剣な表情をして話す母親に子どもたちも普段と違う何かを感じたのだろう。二人は素直にうなずいた。 小狼が客間のドアをノックする。 「母上、小狼です。」 『お入りなさい。』 扉の向こうから夜蘭の落ち着いた声が返事をする。小狼はさくらを振り返ってさくらがうなずいたのを確認するとゆっくりと扉を開いた。 「きゃ〜、さくらちゃんたちよ〜!久しぶりねぇ!!」 「んまぁ、見て見て!!この子たち、こんなに大きくなって!!」 「いやぁん、かわいいわぁ!!」 「あん、もう食べちゃいた〜い!!!」 途端に降りそそぐ声に小狼とさくらは顔を引きつらせた。 「姉上たち、いつお帰りに?仕事で海外ではなかったのですか?」 明らかに迷惑だという顔で小狼はジロッと四人の姉たちの顔を見た。 「相変わらず無愛想ねぇ、小狼!」 「少しはこの子たちを見習いなさいよ。」 「これこそ天使の微笑みっていうのよね〜。」 「この無愛想な親からこんなかわいい子たちが生まれるなんて!」 「「「「やっぱりさくらちゃんのおかげよね〜!!」」」」 小狼の眉がぴくっと震える。どうにもこうにもこの姉たちのけたたましさは彼には受け入れられるものではないらしい。横で見ていたさくらは小狼の機嫌が悪くなっていくのを感じてあわてて口を開いた。 「あの・・・お義姉様方、お仕事、区切りがつかれたんですか?」 子どもたちを撫でくり回していた四姉妹はその声にさくらの方を向いた。 「そういう訳じゃあないのよ。」 「大事なお客様がみえてるから・・・。」 「今後の取引についてね。」 「つまり仕事で帰ってきたの。」 四姉妹の答えに小狼とさくらは再び緊張する。 「もうそれくらいにしてお座りなさい。」 凛とした声が部屋の奥のソファから響いた。四姉妹は名残惜しそうにしながらも子どもたちから離れて席に着く。小狼とさくらはその後に続いて夜蘭の向かいの席に腰を下ろした。 「「おばあちゃま、こんにちは!!」」 愛らしい双子がちょこんと頭を下げる。夜蘭は目を細めてうなずいた。 「今日も元気そうですね。それが一番です。」 白く美しい手で双子の頭をなでる。子どもたちはうれしそうに笑った。 「母上、今日はいったい何があるのですか?」 単刀直入に小狼は切り出す。さくらは緊張からいつもの微笑みが消えている。 「先ほど話していたのを聞きましたね?」 夜蘭は扇を優雅にあおる。かすかな風が夜蘭の漆黒の髪を揺らした。 「何か大きな取引があるようですが・・・。俺たちと関係があるのですか?」 小狼は腑に落ちない様子で問うた。姉たちは魔力がそこそこということもあって李家の事業全般に積極的に参加していたが、小狼はいくら次期当主候補と言っても表の仕事についてはほとんどノータッチといってよかった。李家においては魔力の強い者はその強さ故、表舞台で活躍することはないというのが不文律だったからだ。 「今度、李財閥は日本のパートナーといっしょに新しい事業に着手することになりました。そのためにあなたたち一家の力がぜひ必要なのです。」 「俺たちの力って・・・。」 小狼とさくらは困惑する。表の仕事に何故、力が必要なのか・・・。夜蘭はそんな二人を見て笑った。 「力と言っても魔力のことではないのです。とにかく日本から来ていらっしゃっている代表者の方に会ってお話を伺いなさい。」 そう夜蘭は言うと娘たちに目配せした。長女の芙蝶が立ち上がって続きの間の扉を開けた。小狼とさくらはじっとその様子を見守っていた。どんな人物が現れるのだろう---。 「お待たせしました〜。どうぞ、こちらに・・・。」 「はい・・・。」 影が部屋に歩み入る。二人は思わず息を飲んだ。 「「!!」」 「お久しぶりでございます。李君、さくらちゃん。」 懐かしい親友はにっこりと微笑んだ。 「知世ちゃん!!」 「大道寺・・・。」 あっけにとられた二人はそれ以上言葉が続かない。目を丸くし、全く同じ表情をしている二人を見て知世は「ほほほ・・・。」と笑った。 「ご結婚なさってからますますそっくりになられましたのね。李君、スーツがとってもお似合いですわ〜!さくらちゃんはしっとりとした奥様になられて・・・。」 双子の子どもを持つ二人がまるで自分たちが双子のような反応をするのを知世は楽しそうにビデオカメラに収めた。二人は今度は大きな汗をたらしている。 「と、知世ちゃん・・・。」 「早速それか・・・。」 知世はカメラを下げるとあらためて挨拶した。 「ご挨拶が遅れました。わたくし、大道寺コーポレーションの新会社、大道寺エンジェル・クロージング代表取締役、大道寺 知世でございます。」 小狼とさくらは再び目をまん丸くした。 「代表取締役・・・。」 「実質、社長ということだな・・・。」 知世は二人に歩み寄った。 「この度、大道寺コーポレーションは大道寺エンジェル・クロージングの海外進出に際し、李財閥と提携し、海外の販売権一切を李財閥に委託することとなりました。今日はそのためのご挨拶とプロモーション作成のためのご協力をお願いしたく、こうしてこちらにお邪魔させていただきました。」 二人はあまりの展開にただただこくこくとうなずくばかり。そんな二人を小狼の四人の姉たちはくすくす笑いながら眺めている。 「カメラテストの方はいかがでした?大道寺社長・・・。」 次女の雪花が知世に声をかける。 「バッチリですわ。予定通りご一家に出演していただきますわ。」 「出演」という言葉に二人はギクッと反応する。 「あ、あの知世ちゃん、出演って・・・?」 さくらはおそるおそる尋ねる。知世は目に星をいくつも浮かべながら答えた。 「もちろん、この度の海外向けプロモーションビデオのことですわ!!ああっ、我が社の製品宣伝のために李君やさくらちゃんだけでなくお子様方にも出演していただけるなんて!!!幸せすぎてめまいが〜・・・。」 本当にフラフラと倒れかける知世のその言葉に小狼とさくらの顔からサーッと血が引いていく。 「・・・悪夢だ。」 「じ、冗談だよね?」 夢でも冗談でもないことはその後の四姉妹の騒ぎようが証明していた。 「何だって俺たちなんです?!モデルなら山ほどいるでしょう?」 いくら知世の頼みでもこればかりは聞けない---さすがの小狼も当主である母・夜蘭に異議を唱える。 「俺たちばかりか子どもたちもなんて・・・。世間に顔が広まったら何か物騒なことに巻き込まれるかもわからない。俺はいやです!さくらや子どもたちを危険にさらすなんて!!」 もっともな言い分だった。さくらも自分はともかく子どもたちに何か起こるようなことは絶対避けたいと思っていた。 「心配するのは当然です。でもこれは李財閥トップ陣の決定でもあるのです。小狼、まだ当主でもないあなたには表のことをひっくり返す権限はありません。」 ぐっと小狼は言葉を飲込む。夜蘭は微笑みながら続ける。 「大丈夫です。この子たちには不思議な力があります。邪な心を持つ者は近づくことはできない・・・。」 夜蘭はそっとその手を双子の頬に伸ばす。 「持って生まれた気とでもいうのでしょう。この子たちは生まれながらにして守られている。」 小狼とさくらは驚いたように夜蘭の話を聞いていた。夜蘭はそんな二人に母の瞳を向ける。 「あなたたちは近くにいすぎて気がつかなかったのでしょう。」 「でもさくらは・・・。」 なおも食い下がる小狼。 「さくらさんのことも心配いりません。私の占いではこのことはさくらさんにとってプラスになると出ています。それに決定がなされた時点であなたたち二人には強力な守護の術がかけられることも決められています。・・・李財閥は裏の顔を持つことから経済界では胡散臭く思う者も少なくないのです。そうした者たちに明るい次世代の李家を知ってもらうことはとても有効な外交的手段にもなるのです。」 夜蘭の説得力ある言葉に小狼は黙った。表の財力で李家全体が潤っている以上、その恩恵を被っている身としては協力せざるをえない。 「・・・・・・。」 「これは李家にとっても決して悪い話ではないのです。あなたの気持ちはとても個人的な感情です。当主としてはあなたにもっと大きな目でこの件について考えてもらわねばなりません。」 考えろとは言っているが、つまるところ引き受けろと暗に命令されて小狼はため息をついた。夜蘭の命令ではしかたがない。 「・・・わかりました。お引き受けします。」 知世と四姉妹たちは飛び上がって喜んだ。 「「「「きゃ〜、やったわね!!!」」」」 「それでは早速準備に入らせていただきますわ!!」 撮影は知世の方針で特に用意したセットや台本ではなく、自然な日常のシーンを収録することから始まった。 「さくらちゃんたちの普段のご様子が撮影できて幸せですわ〜〜〜!!!」 自分自身の持つビデオカメラの他に収録のためのプロ仕様のカメラを数台設置し、知世はあちらへこちらへとかけずり回りながら小狼、さくら、子どもたちにカメラを向ける。 「本当にこんなので宣伝になるのか??」 半信半疑といった様子で小狼は知世に聞く。知世は自信たっぷりにうなずいた。 「もちろんですわ!!すばらしいプロモーションができそうですわ〜!!」 すでに知世の頭の中には完成したプロモーションビデオが流れているようだった。頬を上気させ、自分の妄想に浸る知世に小狼はついていけないものを感じた。 (昔から変わったヤツだとは思ってたが・・・。) ここまで常軌を逸しているとは思わなかった---そう思いながら小狼はとぼとぼと歩き始めた。今日はこの後、公園で子どもたちと遊ぶシーンを撮影することになっている。 「小狼君、知世ちゃん、準備できたよ〜!」 さくらが車庫から手を振っている。すでに子どもたちは大道寺社製の洋服を着せられてチャイルドシートに座っていた。 「はい、今まいりますわ!!」 嬉々として自分の車に乗り込む知世に対し、小狼はがっくりと肩を落として運転席に身を沈めた。 数ヶ月後--- 「小狼君、あのビデオ、配られ始めたみたいだよ。今朝、お義母様からお話があったの。」 一家で夕食を囲みながらさくらが話し始める。 「うちの分、もらわなくてもよかったの?」 さくらが小首をかしげる。小狼は即座に首を横に振った。 「どうせ母上や姉上たちのところに送られてくるんだ。そのうち嫌でも見なきゃならないだろう。」 それにしても散々な数週間だった。どこに行くにもカメラがついて回り、気の休まる時さえなかった。一度など、まさか撮られてはいないだろうとうっかりさくらに唇を寄せたら窓の外から大きなレンズがのぞいていて頭のてっぺんから足のつま先まで二人して真っ赤になってしまった。 あれは入れないって言ってたな---小狼は照れ隠しに食事をかき込む。あんなのをばらまかれた暁には外を歩けなくなってしまう。とにかくカットになってよかった。黙々と食べながら小狼は一人そんなことを考えていた。 先に食べ終わった子どもたちが椅子から降りてテレビの前に座っている。もうすぐ子どもたちの好きなアニメが始まるのだろう。 「あれぇ?!」 「パパとママだぁ!」 その声に小狼とさくらはテレビの方に目を向けた。画面を見た途端、小狼は食べ物をのどに詰まらせ咳き込んだ。 「ぶっ、ごほっごほっ・・・。な、何だ、これは!!」 大写しになっているのは二人の結婚式のシーン--- 『誓いますか?』 『誓います。』 『誓いますか?』 『誓います。』 『これはゴールではありません』 知世の声でナレーションが流れてくる。バックに流れている歌声も知世のものだ。 『新しいスタートなのです』 教会の階段を下りてくる二人のシーンがフェードアウトして生まれたばかりの子どもたちを抱いて微笑んでいる二人の写真が現れる。 『天使を迎えたその日から---』 今度は一家四人が歩いているシーン 『私たちはもっと大きな幸せを築き始める』 一家の様々なシーンがフェードインフェードアウトを繰り返していく。 『大道寺エンジェル・クロージングはそんな皆様を応援します』 小狼が転んだ子どもが立ち上がるのをしゃがんで見守っている公園のシーン 『丈夫で機能的』 さくらが子どもたちの洗濯物を干しているシーン 『いつまでも色鮮やかで愛らしく』 子どもたちが笑いながら戯れているシーン 『お子様のかわいらしさを演出いたします』 再びラストに大写しになる一家の笑顔。それがゆっくりと消えていくと大道寺エンジェル・クロージングと李商事のロゴが映し出された。 「ねぇ、僕たちテレビに今映ってたよね?!」 「うん、映ってた!!」 「「・・・・・・・。」」 興奮して騒ぐ子どもたちとは逆に小狼とさくらは言葉を失っている。 「さくら・・・テレビでやるって聞いてたか?」 「う、ううん、知らなかった・・・。」 乾いた笑いを浮かべる二人。香港でこれからこれが毎日流れるのだと思うと二人は笑って現実から逃避するしかなかった。 「甘いわねぇ、小狼。」 「そうよね。私たちが香港だけで満足するはずがないじゃないの。」 「このCM、日本はおろかアメリカ・ヨーロッパ・オーストラリア・・・。」 「李商事と李貿易が関係している全ての国で一斉にオンエアされてるんだから。」 「「「「ほ〜っほほほほほほ。」」」」 かくして李家には毎日世界中から段ボール何十箱ものファンレターが届くようになった。げっそりとしつつもまじめな二人は一生懸命手紙に目を通した。そのほとんどが『あなたがたのような素敵な家庭を築きたい』という内容だったことに小狼とさくらはほんの少しだったが誇らしさを感じた。 「・・・悪いことばかりじゃなかったな。」 「うん・・・。」 二人は手紙の文面を見ながら微笑み合う。 『いつまでもお幸せでいてください。すばらしい家族の姿をありがとうございました。』 明日もあのCMは世界中で流れるのだろう。やさしい風にのりながら--- -----Fin----- ◆ 翔 飛鳥さまコメント ◆ 李一家、一族の手で大道寺財閥に売り飛ばされるの巻。(笑)清雅さんは見せびらかしがお好きだと聞いていたので、究極の見せびらかしを考えてみました。ギャグにはなりきりませんでしたが、やっぱりSSの話は二人が幸せなのが一番ですよね。 |