古 都





秋深まり、行楽シーズンが到来した。

誰もが外へ出たくてウズウズするこの季節、友枝中学校も例外ではなかった。
イベントが多い学風らしく、秋の社会見学なるものがある。

「行き先は、―――鎌倉へ変更になりました。」
担任の教師の声に、えぇ〜と、どよめく教室。
その声の中には、さくらの一際大きな声もあった。

「“博覧祭”に行くの、楽しみだったのに・・。」
「どうして、急に行き先が変わったのでしょうか。」
知世も納得いかない、という様子だ。
しかし、次の瞬間には何かが閃いた顔をしている。
さくらはもう、あえて聞かなくても最近分かるようになってきた。

「・・・ね、知世ちゃん。学校行事だからね、お姫様の衣装、着れないんだからね。」
(大丈夫とは思うけど、一応言っとかなきゃ。知世ちゃんだもんね。)

「まあ!鎌倉からの連想、さくらちゃんも同じ考えでしたのね?!」
以心伝心ですわ〜と喜ぶ知世と、ある意味そうかも、と思ったさくらだった。


出発日の3日前に決定した鎌倉行き。
みな不満の表情を浮べたが、小狼ほど苦い表情ではなかっただろう。


その日の帰り、さくらは小狼のマンションにふとした思いつきで寄ろうと思った。
「小狼くんのグループ、どこを調べるのかな。聞いてみよう・・・」

ドアの前に立った瞬間、さくらはかすかな話声を耳にした。
廊下に面した窓が少し開いていたのか、中から声が漏れている。
小狼らしくない無用心さだ。

「・・・あなた方は、俺が信用できないのか?学校にまで圧力かけて!」

呼び鈴をならそうとした手が、いつになく荒げた小狼の声で止まる。

「―――は、ちゃんと履行している。こっちにも計画の順序があるんだ。」
どうやら、電話での会話らしい。
「・・・わかりました。・・・しかし、今後こんなやり方は・・・。」


ピンポーン。


思わず動いた手が押したベル。
会話を中断させてしまうだろうが、さくらはそれを願ったのかもしれない。

「・・・さくらだったのか。」
出てきたのは、優しくてぶっきらぼうな調子の小狼だった。
「ごめんね、急に・・・。」
いつもだろ、と笑ってドアを押えて招き入れる。


「さっき、電話でお話し中だった?わたし邪魔しちゃった?」
「あぁ・・・。いや、たいした用じゃなかったから。」

よかった、と言ってキッチンから揃いのカップにお茶をいれて持ってくる。
そして、それを飲みながら一緒に勉強したり話をしたり、たまには寄り添って読書をしたりするのが、2人のここでの時間の過ごし方だ。


小狼は、この時間を宝物のように大切に思っていたのだ。


―――さくらが想像するより、ずっと。



   *   *   *   *   *   *



心配していた長雨はあがり、秋晴れに恵まれた社会見学の日。

5,6人のグループに分かれて、それぞれの研究テーマについて調べる。
歴史的観光名所にめぐまれた鎌倉は、テーマに困る事は無かった。

街並みを歩き出したとたん、さくらは妙な寒気に襲われた。

「・・・ねえ、知世ちゃん。ここ、変な感じしない?なんだかザワザワしてて・・・。」

「え?いいえ、私にはなにも・・・。まさか、魔力の気配がするんですの?」

「う、ううん。魔力じゃなくって、もっと怖いカンジ・・たとえば・・・」

「幽霊かなぁ?」奈緒子が目をキラキラさせて言った。

言っちゃダメ〜と、かがみこんださくらに奈緒子は追い討ちをかける。

「私、調べたんだけど、鎌倉って幕府があったでしょ?それ以来、悪霊が入ってこないように、あちこちに呪符が置かれたんだって。」

「でしたら、ここは清らかな土地ということになりますわね。」

「ううん。それがね、呪術がカンペキじゃなかったから色々な魂が入ってきて、逆に呪符に閉じ込められたの。」

「・・・あぅぅ〜・・・ってことは・・。」

「ここには、幽霊・妖怪・悪魔に鬼、なんでもありってこと!!」

奈緒子の魂も昇天しそうなほど、テンションが高くなっている。
昔の話ですわ、と元気付ける知世に肩をたたかれ、さくらはしぶしぶ立ち上がる。

遠くから、別のグループにいる小狼がじっと見ていた。



ペンギン公園の、あの林の中と同じ雰囲気がする・・・。
さくらは研究の散策を進めながら、ずっと感じていた。

そして、ある小径にさしかかった時、その道の前方の空間が揺らいだように見えた。

(―――何?今の・・)
一足先に、その方向へさくらは駆け出す。
恐怖心より好奇心のほうが強かったのだろう、奈緒子の話などもう忘れていた。

そこに在ったのは、竹林に囲まれた小さな古い庵(いおり)だ。
いつ建てられた物なのか、現代に残っているのが不思議なくらい年月を経ている。

その門扉らしき2本の低い苔むす石塔に、対照的に真新しいお札のようなものが貼られている。

(なんて書いてあるんだろう?・・・『封』の文字と・・)
下の方の文字を読もうと、さくらがその札に触れた瞬間、ブゥン・・と大きく空間が揺れた。

さくらは慌てて辺りを見回す。
景色はなにも変わっていないが、後から来ているはずの知世たちの姿が見えなかった。
みんな歩くの遅いよ〜と思った瞬間、急にザザーッと滝のような雨が降り出してきた。

「レポートが濡れちゃう!!」

手にしていたバインダーを体でかばうが、雨が強すぎて濡れるのを避けられない。
グループのみんなが困るのを想像したさくらは、少しためらったが、その小さな庵の軒下を借りる事にした。

(すぐやむかなあ・・・。他の子達、雨宿りできたかな。―――小狼くんも。)
小狼の事を考えると、今1人でいる事が心細くなる。

(寒がりだから――。濡れてないといいけど。)

「お嬢さん、迷子かね。」

ふおっふおっふおっと白髪に髭をたくわえた好好爺といった老人が、いつの間にか背後の濡れ縁に立っていた。

「あ・あの、ごめんなさい!勝手に入ってしまって。でも、もう少しだけここで雨宿りさせて下さい!」
さくらが慌てて深々とお辞儀をする。

「構わないよ。お客さんは本当に久しぶりじゃ。秋の雨は体に毒だ、やむまで中で暖をとりなされ。」
ふおっふおっふおっ。老人は、本当に優しそうに笑う。
さくらはその笑い声で、魔法にかかったように安心感につつまれた。

言われるままに暖かい囲炉裏の前にすわり、老人が差し出した珍しい味のお茶を口にする。
すると向かい側に座っている老人は、さくらが確かに飲んだのを見て、長い口ひげの陰で声も無く笑った。

「・・・あっ」
その時、さくらは今度こそ間違いなく魔力の気配を感じた。
(裏庭の方だ!!)
すくっと立ち上がったさくらに、老人は分かっているかのように何も聞かない。

「ち、ちょっと、外の様子をみてきます!」
短い言い訳をして部屋を飛び出たさくらは、無数の魔力の存在を感じていた。

(どうして?やっぱり奈緒子ちゃんのいう通り、ここって妖怪か何かいるの?)
泣きべそをかきそうになるさくらだったが、ほうってはおけない。
走りながら、「封印解除」して鍵を杖に変えておく。

しかし、濡れ縁に続く部屋の敷居をまたいだ瞬間―――
不意に魔力の気配が、一瞬にして消えた。
あれほどの数の魔力が、一瞬に。


そして、いつしか霧雨に変わった雨の中に、身じろぎもせず・・・・小狼が佇んでいた。






手には霊玉を持っている。たった今まで剣を携えていたに違いない。

厳しい表情をしてこちらを見据えているが、その視線の先はさくらではなく、その後方・・・。

「―――お迎えがきたようだね、お嬢さん。」

またしてもいつの間にか、さくらの背後に老人が立っていた。
ふおっふおっふおっ。

小狼はこちらを向き近づいて来て縁の下に立ち、さくら達を見上げた。

霧雨に濡れた髪には柔らかいくせ毛が現れ、その髪先からしたたる雫は透けた制服の
シャツにしみこんでゆく。
首筋から流れる水滴が、その開かれた襟元の鎖骨に届く。
長いまつげが濡れ、ゆっくりとした瞬きのたびに濃い影をおとす。

さくらは初めて見たような小狼の姿に、言葉にならない気持ちを抱えとまどった。
(毎日会ってるのに・・・どうして初対面の人のように緊張するの?)
この感情をさくらが理解するのは、まだまだ先の事だ。

「小狼くんも雨宿り?け、研究課題終わったの?」
動揺からか、的外れな言葉がでてしまう。

「終わってなんかいない。それより―――」
小狼は、縁の上にいるさくらを見上げて、手を差し出した。

「彼女・・・さくらは、つれて帰ります。」
小狼は老人に向かって言った。

どういう意味だろう?私、迷子の子供じゃないのに・・・とさくらは不満げだ。
しかし、小狼は真剣な顔をして、白髪の老人の言葉を待っている。

ふおっふおっふおっふ・・ふ・・げほっ!・・けほけほっ

「・・・・すまんの、ちょっとむせたようじゃ。丁度いい、新たな客人にもお茶を用意しようかの。」

小狼の言葉をさらりとかわして、古い座布団を2つ縁側に並べた。
ここで待てという意味なのだろう。

老人の姿が部屋の奥へ消えると、小狼は急に緊張感がとけたのか、その座布団にふうっと息をついて腰をおろした。
さくらも並んで腰掛ける。

「知世ちゃんたち、見なかった?後から来てるはずなんだけど・・」
「・・・すぐそこにいる。」
小狼のぽつりと言った言葉に、さくらは喜ぶ。

「よかったー。小狼くんが怖い顔してるから、わたし迷子になっちゃったかと思って――」
「・・・・なってる。」
え?という顔をするさくらに、小狼はもう行くぞと言って、その手を取った。

「ま、待って。わたしお爺さんに、まだちゃんとお礼言ってないの。」
さくらは、こういう事には頑固だ。
小狼もそれを理解していたから、すぐに諦めて座りなおす。



濡れ縁の前にひろがる、静寂が支配した雨の庭。

寺院のような手入れはされていないが、それがかえって趣を感じさせる。

「・・・日本の庭って、雰囲気が好きだ。静かだし・・。」
その庭が作り出した空気に、自分でも気付かないうちに魅せられていたのだろうか。
小狼は、先程掴んださくらの手を握ったまま、目の前の庭をぼんやり見つめた。

「そうだね。わたしも年取ったら、こんなところで暮らしたいな。」

年取ったら・・・?
小狼は、さくらが可愛いおばあちゃんになって、この濡れ縁でお茶を飲んでいるところを想像した。
きっと、涙がでるほど幸せな光景だ。
周りには、共に歳を重ねた大勢の人がさくらを囲んで笑っている。
―――そして俺は?その時どこにいるだろう?

「俺だって・・・おじいちゃんになりたいんだ!」

小狼が思わず声に出してしまった言葉に、さくらは一瞬固まり、ほええ〜と驚いた。

「――どうしたの?小狼くん・・・。」

自分の手を握る力が一層強くなるのを感じ、さくらは逆の手で、下をうつむいてしまった小狼の頬にそっと触れた。

「きっと、小狼くんもお髭が似合うよ。あのお爺さんみたいに。だから、だから・・・。」

湿っていて冷たい頬―――
さくらは自分のこの手で暖めてあげたかった。

すると小狼はゆっくりと顔を上げ、自分の頬に置かれた柔らかい手の方も、きゅっと握りしめる。

さくらは小狼の手が自分の心臓をにぎりしめたと思う。
(・・・胸がいたい・・・。)

そして、小狼は小さな両手を重ね合わせ自分の両手で包み込み、さくらを真っ直ぐに見つめた。

こんな時の小狼は、決して照れたりしない。

不器用な狼につかまえられた子羊の両手――
その手を小狼は自分の方に強引に引き寄せた。
当然、さくらの体も追って小狼に引き寄せられる。

濡れたまま柔らかく額にはりついた、小狼の髪の毛。
薄茶色の瞳がいつもより近くから、こちらを静かに見ている。

(何か、何か言わなきゃ。)
さくらの心臓は破裂しそうだ。


そのとき、裏庭のほうで微かな人を呼ぶ声に気付いた。
だれかを呼んでいる。

「あ、あれ、・・・・知世ちゃんの声だ!私、さ、探してくるね・・・。」

小狼はどこか安堵したようなその声に、すっとさくらの手を離した。

(わたし、何かがっかりしてる?)
黙ってうなずいた小狼に少しはにかんで、さくらはほとんど止んだ雨をくぐりぬけ、裏の竹やぶの方へ行ってしまった。


ふおっふおっふおっふおっ

小狼は立ち上がり、ゆっくりと振り向く。

「魔力のない者まで、この空間に招き入れたのはお前さんじゃの。」
「さくらの方は、俺が呼んだのではありません。」
「ほっほっほ。わしが呼んだのでもないぞい。」

白髪の老人は、小狼の全身をじっくりと観察した。

「・・・長かった。ずっと待っておったんじゃ、裁定者の力をつかう者よ。」
「老師――貴方を探し出し開放せよとの特命を、いたずらに何世紀も延ばしてきた訳ではない。」
「わかっておる。あの護符の力は強大じゃからの。この庭に出入りすることが出来る者が、この世に幾人もいないことは十分すぎるくらい分かっておるよ。」

白髪の老人は、小狼の霊玉をふと手に取った。

「ほう、やはり李家の者か。皇家と李家の関係は、今だに続いておったのかい。」
小狼は、何も言わない。

「お前さんのような年端もゆかぬ若造で『契約』できるのは、まあ、李家の者くらいじゃろうが・・・・。あのお嬢さんが、よほど大切だとみえるの。」

ふおっふおっふおっ

「お前さんが先程一瞬で消した使い魔まで、あのお嬢さんが気に入って、ここまでついて来たくらいじゃからのう。」

小狼は、再び霊玉を剣にかえる。

「何百年振りの来客が、一度に2人も訪れてくれてわしは嬉しかったぞい。」
「1つだけ教えてください、老師。一体誰が貴方をここに閉じ込めたのか・・・?」
「―――それを語る事は、禁じられておる。」
老人の皺だらけの額に、ぽうっと文字が浮かび上がる。

小狼は見たことの無い文字に、表情が硬くなる。
「その禁呪をあなたに施した者ですね。」
小狼は両手で剣を持ち、真っ直ぐに老人に刃を向けた。

ふおっふおっふおっ。
老人は答える代わりに、豊かな髭を揺らし笑った。

「ありがとう。最後に可愛いお嬢さんに会えて楽しかったよ。・・予想外の力を持ったのう。」

何かに耐えるようにググ・・と両手で押えていた剣を、フッと軽やかに天に突き刺した時、赤い房がしゃん、と揺れた。

先程の霧雨で濡れた小狼の全身から、蒸気のようなものが立ち昇る。
刃先から波紋のように徐々に空間が揺らいでゆくのと同時に、門の石塔に張られていた呪符が、本来の時間の流れに戻ったかのように、みるみる色あせ朽ちていく。

水面のような波紋が庵全体の空間まで広がったとき、老人の姿は消え、ぼろぼろになった呪符が足元にはらりと舞い落ちた。

小狼はその呪符を拾い上げる。

(強い力が、必ずしも幸せを生むとは思わん・・・。それだけは心しておくといい、少年よ――)

呪符が手の中で粉々になり、風に散っていくのと同時に、小狼の耳に老人の言葉が聞こえた。



「あれ、おじいさんはどこ?」
さくらが知世の手を引いて、小狼のところに戻ってきた。
濡れ縁には、老人の姿のかわりに、まだ暖かいお茶が2つ残されている。

「ええと。た、旅に出た。さくらによろしくって。」
どうして、こんな下手な言い訳しかできないんだ?と小狼は冷や冷やしたが、さくらはそうなの、と納得したようだ。
そして、小狼の体をまじまじと見る。

「小狼くん、雨で濡れてたのに、もう乾いてるね?よかった〜風邪ひいちゃうって心配したの。」
さくらの言葉に、知世は先程から不思議に思っていたことを口にした。
「雨なんて、いつ降ったのでしょうか?それに、さくらちゃん急に姿が消えたから私達、驚きましたわ。」
「え、ほんと?やっぱり小狼くんの言うように、わたし迷子になっちゃってたんだね〜」

ごめんねーと照れ笑いする、さくらが “ほややん”というやつでよかったと小狼は思う。
そこが可愛らしいのですわ、と知世は思う。

一番最後に門扉を出た小狼は、振り向いて、永遠の静寂につつまれた庵を眺めた。


(老師は承知していたんだ、自分の立場が危険になる事を。それでも・・・)

小狼は、罪人・反逆者・密航者はては極左の者まで、分け隔ての無い愛で命を救う事をやめなかった老人に心服した。

そして、左手の拳に右手の掌をそえた最敬意の合掌をつくり、深々と敬礼をしたあと踵を返した。

いつしか、深いコバルトブルーの空が頭上に広がっていた―――



   *   *   *   *   *   *



翌日、レポートの結果を発表する時間、さくらは参考資料の鎌倉の歴史が書かれた分厚い本をぱらぱらとめくっていた。

(あれ・・?このおじいさん・・。)

ふと手を止めたページに小さく載っていた白髪の老人の姿絵に気付き、さくらは顔を近づけてよく見る。

『・・・の国(現中国)から鎌倉へ渡った、医学・薬学の当時の権威。神隠しにあったとされるまでの十数年間、小さな庵で当時の要人の病気を隠密に治癒したといわれる。』

さくらはその説明書をみて、あの老人のくれた不思議な味のお茶を思い出した。

(まさか、ね。)

さくらは、ふふふっと笑って自分のグループのレポートをとんとん、と揃えた。








                                            おしまい







  ★じいまさんコメント★

 言い訳。
 鎌倉の歴史や中国との時代関係は、まったくのフィクションです。
 そこんとこ突っこまないで下さいね(^o^)





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