8月31日




「綺麗に撮れてるね」
「ああ」
テーブルの上に散りばめられた写真。
手に持ってきたオレンジ色の液体が注がれているグラスをコトリと小狼の目の前に置き、
さくらが呟く。
目線は小狼が今日、部活動で赴いた学校で偶然会った知世から
手渡されたものに向けられている。
小狼がさくらにも見えるよう、テーブルの上に広げたもの。
──それは、背景に海が映っている、知世や利佳、奈緒子に千春、山崎君に私たち…と、
御馴染みのメンバーが揃っている写真。
この間…お盆より少し前の日に、皆で海水浴に出掛けたものだ。

「この日って、本当に暑かったよね」
「そうだな」
自分の分のグラスもテーブルの上に置いた後、
楽しそうに写真を手に取って見るさくらの言葉に、小狼も写真に目を通しながら頷く。
──が。

「あ…」
「!」
不意に。同じ写真を視界に入れた2人の動作がそこで止まる。

『………』

一拍後。
一枚の写真をテーブルの前に、双方は共に頬をほんのりと紅く染め、
お互い床に視線を落とし俯きつつ、沈黙を守る。

チリーン、と。
小狼の部屋の窓に飾ってある風鈴が、風に揺れ、鳴った。





  





『ザザーン』
『ザーン』
寄せる波が砂浜に打ち上げられ、引いていく。

頭上には広がる快晴の青空。
その青空に、賑わう人々の声が木霊する。

砂浜でピーチボールを楽しむ人々の声。
海を泳いで遊んでいる子供たちの声。
浜に連なっている海の家で働いている人達の威勢のいい声。

──ここは、とある海水浴場。
普段は静かなこの海辺も、今が夏休みということもあって、かなりの人で賑わっていた。

その人込みの中に。
見慣れた面々の顔がチラリ。
さくらに小狼、知世に奈緒子、利佳、千春に山崎君と…
中学3年生に進級した小学生の頃からのお仲間メンバー。
彼等も、この海水浴場に今日、遊びに来ていた。
夏休み前に交わした約束。
誰かが「夏休みに、海に行かない?」と言い出したのが発端なって…
それに全員が賛同し(小狼は後からさくらに聞かされて)、
運良く天気も見方してくれた本日、おなじみのメンバーが揃うこととなったのである。



着替えが終わり、浜に姿を現した彼等は元気よく挨拶を交わし、
(彼女の水着姿に頬を紅く染める…という男性も約1名いたが)
泳ぐ前に少し砂浜に腰を下ろし、これからの予定を立てようとしたが。
じりじりと焼け付くような太陽が眩しすぎて、とてもではないが座る気にはなれない。
仕方ないからと先に、とりあえず暫くは海で遊んでいたが…
そう、いつまでも中に入っていてはいられないし、
休憩も兼ねて浜辺に出てみたところ、海の家は何処も人が一杯で座れそうになかった。

「…どうしようか」
奈緒子が溜め息を吐き、周囲を見回す。
見ると、砂浜には大きなパラソルが幾つか鮮やかに色を添えている。
荷物になるからと持ってこなかったが、やはりパラソルを持ってくるべきだったと、
千春が再び吐息を零したとき。
「…借りれる所がないか、探してくる」
「あ…わたしも一緒に行く!」
小狼が提案し、歩き出した彼に、さくらもパタパタと後を付いていった。

悪いから──と、利佳が断ろうとしたが、
足の速い2人は、すでに利佳の声が届かない場所まで歩いていっており…
それに、ここで暫くの間待つことにした全員の耳に。

「美男美女カップルコンテストが始まるよー」

海に来ていた人全員に聞こえるような大声が入り込んできた。

「え?」
「なに?」
「あら」
「美男美女…」
「カップルコンテスト!?」

皆が驚いて振り向くと、一軒の海の家の前にメガホンを持った男の人が盛大に宣伝していて。
その男の人の周りには、詳細が書かれたチラシらしいものを
周りの人々に配っている人が数名、佇んでいる。
どうやら毎年、この海浴場で行なわれているイベントらしい。
みな驚いている様子はなく、待ってましたとばかりに
受付の人に参加を申し込んでいるカップルがチラホラ目につく。

へえ…と、千春たちは、その光景を遠巻きに眺めていたが。
宣伝の係りの人が続けて放った言葉に、ピクリ、と。
全員が瞬時に反応を示した。

「優勝者には、この海辺の近くのレストランの一級料理のご招待券に、
オマケに、このパラソルもつけちゃうよー!!」

その台詞に。
一旦は海のほうに戻した顔が、一斉にバッと、係りの人が見せたパラソルに注目する。

「ねえ…」
「あのパラソル、いいよね…」
千春と奈緒子が、ごしょごしょと囁きあう。

「でも…優勝者には、なんでしょう?」
利佳もその気なのか、おずおずと確認の言葉を尋ねる。

「パラソルっていうのはね、」
ここで何故この発言なのか、いつもの嘘を言い始める山崎君に。
「はいはいはい」
千春は呆れたような表情で耳を掴んでストップさせる。

「じゃあ、千春ちゃんと山崎君が出場してみたら?」
奈緒子が名案!というふうに顔を輝かせ、言い出す。
「う、ん…」
けれど、それに千春は渋い顔で、山崎君の顔をチラリ。
「悪いけど、私たちじゃあ…
山崎君も、会場でいつものホラを吹き始めないとも分からないし」
はあっと深く息を吐きながら遠慮を申し出る。
言われた本人は、「あはは」と笑っていて。
それに千春は、益々大きな溜め息を口から吐く。

『う〜ん』
暫し、1人を除いて皆、思案顔。
その頭の中は、どうしたら、あのパラソルを自分達の手に入れられるのだろうか?
という思考だけで、どうやら優勝者の本当の賞金のレストランご招待券は
どうでもいいらしい。

そこへ。
「絶対に優勝するカップルがいらっしゃいません?」
自身満々に、にっこりと。
今まで沈黙を守っていた知世が、そう問いかけてきた。

え?と、知世のほうに振り返る皆の耳に。
「ごめんなさーい!」
明るい声が届く。
知世には正面の…他の皆は今度は反対方向に顔を向け、
そこで知世を除く全員が、「あ…」と声を漏らした。

目線の先には、謝りながらこちらに走ってくるさくらの姿と、
その後を追うように、パラソルが借りれなかったことに少々申し訳なさそうな…
気まずい表情の小狼が歩いてきている。

瞬間。
全員の頭に浮かんだのは、同じこと。

「見つからなくて…ほ、ほえ?」
じーっと。
皆から視線を浴びせられたさくらは、立ち止まった時にハアハアと切らせた息を
思わず飲み込み、首を傾げ、
小狼も戸惑いの表情を浮かべて千春たちを見返した。



  



数十分後。

(やられた…)
(ほ、ほえ〜〜)

表彰台の上には、苦々しい面持ちの小狼と。
真っ赤になって、手を口元に添えている、さくらの姿。

皆のところに戻った2人は、有無を言う暇も与えられず、
この「美男美女カップルコンテスト」に参加させられた。

小狼は山崎君に、さくらは奈緒子に上手く言いくるめられ、
(というか、ちょっと、ここに並んでくれないかという言葉に素直に従っただけだが)
いつのまにか参加の申し込みが済んでいたコンテストに
出場させられる羽目となったのである。
──気がついたときには、後の祭り。
トン、と背中を押され、審査会場に出た2人は…
審査員と周りの観客全員、満場一致で(とーぜん)優勝となった。



優勝者に贈られる花輪を首から下げ、レストランのご招待券を受け取った小狼は、
表彰台から少し離れた場所で、嬉しそうにパラソルを立てる千春たち面々を
恨めしそうに眺め見る。
パラソルが目的だったのは、一目瞭然。
そのために、自分たちをこのコンテストに出場させたのだ。
そのことに、審査会場に上がる直前まで
全く気がつかなかった自分の鈍さも腹立たしくなるが。

だが。
もっと腹立たしいことが、一つ。
さっきから、ずっと…
周囲の視線がチクチクと痛いのだ。

視線を巡らせると、それは皆、男性のものばかり。
しかも、その全てがさくらに向けられている。
さくらは気がついていないようだが…
それは、小狼をムッとさせるには充分すぎるものだった。
海辺に来てから気になっていたのに、このコンテストに出場したせいで
自分たちは──さくらは、もっと注目を浴びるようになってしまったのだ。
その事実が、小狼にとっては至極、面白くない。

「行くぞ、さくら」
「ほ、ほえ!?」
このとき、視線はさくらにだけでなく自分も女性陣から注目の的となっていたのだが…
そんな自分のことには気がつかない(というより全くもって鈍い)小狼は、
ぐっとさくらの手を握り締めると、そのまま会場から足早に走り去った。
突然の小狼の行動に訳が分からないさくらは、だが、ぐいっと引っ張られるまま
小狼の後をついて一緒に走り出す。

「まあ…」
そんな2人の様子を知世は微笑ましそうに──ビデオカメラを片手に持ちながら、
見送っていった。



  



2人は暫し、ご招待券に記載されてあるレストランで休憩を兼ねた食事を取り…
(チケットは2人分だし、何より自分たちにはその権利があると、
戸惑う顔を見せるさくらを小狼が説き伏せて)
その後、浜辺とは少々離れた岩場に赴いた。

「わあ…」
ザザーンと、荒くなってきた波が打つ岩に佇んださくらは、
夕刻間近の涼しくなってきた風を心地よさそうにその身で受け止める。

「寒くないか?」
パーカーを羽織っているとはいっても、昼間のような暑さが無くなり、
代わりにやや冷たい空気が肌に掠めるように触れることに、
さくらの隣…少し後方で足を止めた小狼は心配そうに声をかけた。
「うん、大丈夫だよ!」
さくらはニコリと微笑んで答える。
──その笑顔に、ドキリと高鳴る小狼の胸の鼓動。

「綺麗ー」
水平線近くまで沈んだ太陽の紅い光線と、その光を受けて輝く波の色に、
さくらはうっとりとした目で、その光景を眺め見る。

「ああ…」
呟いたさくらの感嘆の声に、小狼は同意するように頷いたが…その顔は海ではなく、
さくらへと向けられている。

ほんのりと。夕焼け色のオレンジの光を浴びて、紅く染まっている彼女の横顔。
「綺麗、だ、な…」
ポロリと零れ出る言葉。
「──だよね」
それが目の前に広がっている空と海の光景のことだと思ったさくらは、
笑顔で頷き、小狼のほうに振り返った。──その目が。
次の瞬間。驚いたように大きく見開かれる。

いつのまにか、自分のすぐ傍…間近まで近付いていた彼。
その手が…そっと自分の頬に添えられる。

「さくら」
囁くように呼ばれた名と、優しい眼差しに、さくらの胸がドキン、と鳴る。

(小狼君…)
自分を見つめるその瞳に吸い込まれるように、そのまま…目を閉じる。

ゆっくりと…互いの距離が縮まっていく。

けれど。


『ザッパーン!』

吐息が絡み合った、刹那。
巨大な波が2人目掛けるように襲い掛かった。



『………』
頭から水を被った2人は、当然のことだが全身びしょ濡れ。

「どーや! わいの目が黒いうちは好き勝手させへんでー!!」
と、言葉を無くして佇む2人の耳に、聞き慣れた威勢のいい関西弁の声が届く。
(やっぱり…)
声の主が誰なのか。振り向かなくても分かる小狼は、心の中でげんなりと息を吐いた。

──先ほどの波。
恐らくあれは、元の姿に戻ったあいつが、翼でも羽ばたかせて作ったものなのだろう。
いくら8月も半ば近くになり、波が大きくなってきたといっても、
唐突にあんな巨大なものが生まれるのは不自然だ。
いつのまにか、さくらのリュックに入ってきていたのは知っていたが…
なるほど、とある人物にお菓子か何かの報酬で自分たちを見張っていた訳か。
そう推測し、その『とある人物』が誰なのか大いに検討がつく小狼は、
再び心の中で溜め息を吐く。

「さーって、わいの役目は終わったで〜 これでお菓子はわいのもんやー!」
海の上でフワフワと浮かんでいた黄色いぬいぐるみ──もとい、
仮の姿に戻ったケロちゃんは、向きを変えると、
小狼が推測した通りの台詞を吐き捨て、
意気揚々と荷物が置いてある場所へと飛んでいった。
一応、人目を気にして注意しながら。


『………』
真打ち登場!とばかりに派手に登場し、何やらベラベラと喋り捲った後、
一人(?)で自己完結し去っていったケロちゃんに、
2人は何も言えないまま、その背中を見送ってしまう。
──が。

やがて、くすりと。
双方の口から笑いが零れる。


そして、日が沈み、紅色が広がる空を後に…皆が待つ場所へと戻った。





  





『………』

2人が動作を止めてしまった写真は、知世がコンテストの様子…
優勝になった瞬間を写したもの。
それを見た瞬間、海水浴に遊びにいった記憶が蘇り…
そのときにあった数々の出来事に、2人は顔を赤くし、その場で俯き、
黙り込んでしまった──というわけである。



チリーン。

風鈴の音色が部屋の中に響き渡る。

「た、楽しかったね」
暫しの沈黙の後。潔く声を出したのは、さくらのほう。
まだ紅く染まっている頬のまま、にこっと小狼に微笑みかける。

「あ、ああ」
答えた小狼の顔も、未だに紅い。



その後。
2人は、知世が撮ってくれた数々の激写場面に、暫くは頬を紅く染めたまま、
ただ静かに眺めていた……






                                     ■ END ■













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